トマト丸 北へ!

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『エアガール』、なぜ坂口健太郎と広瀬すずは結ばれないのっ!(3カ月遅れの、見た人しか分からない感想です)

春に録画しておいた『エアガール』をやっと見る。

前半はすごく面白かったけれど、後半だれてきて、正直に感想を口にした連れ合いとけんかになる。私も内心ちょっと退屈してきていたので、指摘されてむっとしたのだ。

前半はすごく面白い。「日本の空を取り戻そう」と奔走する松木吉岡秀隆)たちの血のにじむような努力、広瀬すず演じる初代エアガール佐野小鞠が空へのあこがれへ向けてまっすぐに突き進む爽快なドラマ、とても見ごたえがあった。昔の男たちは敗戦という非情な状況にありながらGHQにも勇気を持って物申す気概があったんだなと心が震える。それに比べて今の政治家、実業家って、どうなの? と思ったりもした。

広瀬すずもめっちゃ可愛くて、明るくて、良かった。白洲次郎と談判決裂し、いったんは席を蹴って帰ろうとした松木がすずの笑顔に冷静さを取り戻す場面も良かった。こういうこと、あると思う。希望と無垢な信頼が人を動かすこと、あると思う。広瀬すずに応援されたら、誰だって頑張れるのでは。

でも、その後が… 正直ちょっと退屈した。それでも見続けたのは、坂口健太郎広瀬すずが結ばれる場面を見たかったからである。しかし現代の場面で、広瀬すずが二役を演じる孫娘と老紳士橋爪功さんの会話が進むにつれて、だんだんと怪しくなってきた。もうこれはいかん、と思い、かなり飛ばして見たので詳しい事情は分からないが、二人は破局したのである。「二度と会うことはなかったのです」。

これは史実を材料にしているとは言えフィクションなのに、なぜ二人が結ばれないのか理由が分からない。ドラマは娯楽なんだから、喜ばしてほしかった。「美しい青春の思い出? けっ!」という感じ。

坂口健太郎、いつもながら超カッコよかった。それが後年橋爪さん? 映画『キッチン』のときからの橋爪ファンではありますが、どんなに年とっても坂口健太郎が橋爪さんにはならないと思う。

クリーニング代金、Tシャツがワイシャツより高いわけ

クリーニング店の店頭でTシャツの代金を尋ねたところ、「500円」と言われて驚いた。「ワイシャツよりTシャツのほうが高いの?」と驚くと、意味が分からないようで、黙って私をにらんでいる。

「ワイシャツは100円くらいでしょう」

「180円です!」

「そう。とにかくワイシャツに比べてTシャツの500円のほうが高いよね。どうしてかな」

「Tシャツとワイシャツはぜんぜん違います!」

と怒った口調で店員さん。

「Tシャツとワイシャツが別物だと言うことは分かってます。値段の違いがちょっと不思議だっただけ」

無言でにらみつける店員さん。聞き方が悪かったのか、値段設定に文句を言われていると思ったみたいだった。

いつの間にか私の後ろにおっちゃんが並んでいて、そのおっちゃんも私をにらんでいる。「はやくしろよー」と顔に書いてある。

変なおばさん扱いされてしまった。

帰ってネットで調べると、ワイシャツの方がずっと数が多く、大量にまとめて洗濯できるし、アイロンもプレスだから安くできるということらしい。普通のTシャツだったら家で洗濯。おしゃれな生地のものとか大切なお気に入りのものはクリーニングに出した方が良い、とある。なっとく。

カフェミエンティ

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京成稲毛駅側のカフェミエンティ。こじんまりとした落ち着く空間だった。

テーブル席が3つ、カウンター席が6つ。コロナの時代なので間隔をあけつつ、常連らしき人たちが席についていた。そして女主人のあたらずさわらずほどの良い接客。

最初にベリーソーダロコモコを注文。

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これがうまい。ロコモコのソースがほんのり甘く、こくがあってご飯にからめるととてもおいしい。ベリーソーダはコップの底に果肉が溜まっていて混ぜていただくのだ。ほどの良い甘さ、ほどの良いソーダ感。

食後にフルーツタルトとコーヒー。プリンっぽいカスタードソースたっぷりのタルトがほんとにおいしかった。コーヒーも一杯ずつ、都度淹れてくれるのだ。

『人は誰でも作家になれる』を読んでブログを始めて良かったと思った

 

 

へたった時、ぬるぬるしてる時、溶けたコールタールの道を歩いているような気分の時、私は中谷さんの本を読む。とても親切で明るい内容の本ばかりで、気分が上がるからだ。今回も、自分のために、好きなことを、好きなように書く、と決めた私にプリっと元気をつけてくれた。

この本を読んで私の中で決めたこと。

①最初の一冊を今年中に出す。(自費出版か、手作りで)

②5年で100本書き上げる。(短いものでOKとする。俳句は別)

③あらすじより、文法より、書く気分を大事にする。短くても、とにかく一気にエンドマークまで書き上げる。

④書き直すのが仕事。声に出して読む、言いたいことを1つに絞る、見えるように書く、の3つを心がける。(これは俳句も同じだと思った。今までほとんどの俳句が思いつきの段階で終わっていた。これからは俳句も、よく揉んで行こう。)

⑤1行でも書く。そして次に書くまでの時間を24時間以上開けない。

「作家とは貧乏してもやりたい人の道楽」だと書かれていた。「儲からない」と(特に私は)いう覚悟が必要。私の場合、ハウスキーピングが生業、書くことが道楽ということになるのだろう。これから生業がちょっと大変になってくるかもしれないが、だからこそ、書くことにすがって生きていくのだと思う。

でも、年を取って、まだ生きていて、良かった。やっとだめな自分と向き合い、受け入れることが出来るようになったのだ。書くことが捨てられないなら、それにすがって生きていくのもアリだ。才能もないのに臆面もなく書くことが恥ずかしかったが、捨てられないならそれを拠り所にして何が悪いのだろう。年を取って面の皮が厚くなってきたのかもしれないが、ブログを書いているうちにこういう気持ちが自然と湧いてきたのだ。良かったかも。

 

亀和田さんありがとう!ーかごめは伝説になったのね

週刊文春の6月3日号「テレビ健康診断」を読んで救われた。

シスターフッドと言ったら市川実日子でしょう」「名ヒロインの隣に市川実日子あり」「やはりこのドラマの最重要人物は市川実日子だ」などの言葉に共感しつつ読む。

ほんとうに、とわ子とかごめの友情はなつかしく楽しく心打たれるものだ。小学生のころ、こんな風な親友がいた人、多いと思う。それぞれ勝手なことをしているようでいて、そのくせけっこう一緒にいる。ふとしたときに傍にいる。気づいたら一緒に歩いている友達。

「信号のない横断歩道」で「渡れない」かごめの手を黙ってそっと握るとわ子。そのさりげない動作に小学生時代から大人になっても変わらないとわ子の魅力が詰まっている。とわ子を信頼して自分の手を預けるかごめの繊細な雰囲気も良い。幼い時のように大人になってからも同じことがあり、逃げようとするかごめにとわ子は横断歩道の前で追いつきその手を取るのだ。このシーンがめっちゃ好きだった。

ある日突然、昔二人で書こうとしていた漫画を描き始めるかごめ。私にはこれしかないと決めて、描き始めたのだ。そして「一晩だけでも手伝わせて」と徹夜でかごめに付き合うとわ子。なんて可愛い二人なんだ! そう、とわ子とかごめはまる子とたまちゃんに匹敵する、記憶に残る親友同士なのだ。

そして、最後の「唐突な死で、このドラマとかごめは伝説になる」という一文に涙した。

短いからと言ってその人生の意味が薄いわけがない。かごめは、その早すぎる死によって私たちの心に残るし、このドラマに大きな意味を与えるのだろう。そう思うと救われる。録ってあった第5話を観ようという勇気をもらいました。

コメの中に混ざっている白い粒は問題ないとあってひと安心

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コメを研ごうとして、半透明のコメの中に真っ白い粒が混じっていることに気づいた。一部分が白くなっているのもあれば、中には一粒全体が真っ白なものもある。大きめのそれをつまんでみると、指でつぶれる。今までに一粒くらいそんなのが混じっていたこともある気がするが、今日はけっこう白いコメの量が多い。

心配になってネットで調べてみると、ありました! 

ちゃんと、「コメの中に白い粒が混ざっている」という項目があった。

結論を言うと、心配ない。生育時の日照時間が足りないことなどにより未成熟になってしまったコメだそうだ。「粉状質粒」と名前も付いている。1~2割程度の混入率であれば炊き上がり、食感に変わりはないとある。もちろん人体にも害はないそうだ。

『珈琲いかがでしょう』最終回は永久保存もの

たぶん佳香さんという方だと思うのだが、とても素晴らしいレビューを書いておられたので、もう付け加えることもないようなものだが、大好きな作品なのでやはり一言書きたい。なので、書く。

後味の良い終わり方だった。謎も解け、みんな収まるところに収まったという感じの終わり方だ。実際にはこんな終わりはないかも知れないが、でもあってもいいのではないかと思わせてくれる。後ろ手に縛られて、垣根さんとペイを人質のようにされて、絶体絶命のところからの青山のアクションで始まる。

青山を無理にでも自分のものにしようとする三代目が哀しい。「スマートな暴力を教えてくれ」という三代目に「スマートな暴力なんかないんだよ」と叩きつけるように言う青山。他人を殴り倒すことが彼自身をどれだけ傷つけていたのかが伝わってくる。たこさんの珈琲に出会う前から彼の心は悲鳴を上げ、救いを求めていたのだ。

この場面で、三代目と垣根さんとペイが青山を取り合うのも、ちょっとコミカルでいい。その様子を見守る夕張もしぶくていい感じ。好きな場面だ。

次はたこさんの妻幸子が、青山の届けたたこさんの喉仏の骨を手の中で砕き、珈琲と共に飲み込む場面。「たこさん、一緒のお墓に入りましょう」「これでたこさんは私の一部になったわ」と言う幸子こそ最高に粋でポップだと思う。(市毛良枝さん、すてきです!)

いちばん好きなのが、幸子がお墓の予定地へみなを案内して、青山が珈琲を淹れる場面。ここで青山の珈琲を飲み、今まで珈琲の味がまったく分からなかったペイの表情がそのとき初めてやわらかくなる。(「今日俺」の時から磯村勇斗くんに注目していた私、目が高い! ついでに伊藤健太郎くん、自分がみっともないことをしたと認めて、謝り倒して、絶対に復帰してほしい。中途半端な姿勢だとこの国の大人たちは許さない気がする。頭を丸めたAKB48の女の子くらいの気概を見せてほしい。きっと嫌な思い、悔しい思いをいっぱいすることになると思うけれど、この仕事が好きなら、がんばって、頭をしゃんと上げて、やり通してほしい。あのつまづきを無駄にせず、一回り大きくなってと願わずにはいられない。)

話が逸れたが、とにかく磯村勇斗くんのぺいには母性本能をくすぐられる。どんな役をやっても魅力のある人だと思う。

ほかに好きなのは、回想のたこさんが「どうせなら粋にポップに生きたいじゃない」と言う場面。このセリフが好き。病弱な幸子、貧しいたこさん、2人ともきびしい運命を生きたのだけれど、ぜんぜん負けてない。世の中を笑い、ポップにしてやるぞという気持ち、移動コーヒー屋さんを開いて日本中の人たちにおいしい珈琲を飲ませたいと夢見る気概に打たれるし、明るい気持ちになる。若いころのたこさんも、いい。

そしてもちろん全編を通じて中村倫也が素敵。エプロン姿が最高にイケてるし、ひとつひとつの表情におばさんはいちいち癒されるのです。この漫画のような(原作が漫画だから当たり前だけれど)ストーリーにリアリティを持たせる演技力、暖かさと包容力と寂しさと哀しみと生きる覚悟と、男の魅力のほとんどを詰め込んだ、ぴったりのキャスティングでした。「珈琲いかがでしょう」というセリフをこんなに素敵に言える人はほかにいない。