トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

ドラマ「ミステリと言う勿れ」第9話  フジテレビ

昨夜の第9話もめっちゃおもしろかった。

第8話から2回連続なのだが、この前と同じく2回続いてもちっとも長いと思わない。いったん謎が解きほぐされたと思ったらまた掘り返される。その度に登場人物たちの見え方が変わってくる。

後半の整くんの「透明人間になろうとしていたんですね」というセリフに背中がぞくぞくした。するすると紐解かれて行き、今まで謎だとも思っていなかったことが謎だったのだと気づかされる。人間の怖さが沁みてくる。

ただ、美吉喜和さんが「若宮さん」という人が問い合わせますから住所を教えてあげてください、と市役所の人に頼んだ理由がわからなかった。自分で直接教えられないわけがあったのかな。

しかしそんな細部などどうでもいいくらい面白いドラマだ。その魅力を考えてみた。

①謎解きが複雑なのにわかりやすい。人物がていねいに描かれているせいか、上質の文章を読むように、ストーリーがすっと頭に入ってくる。最近伏線が回収されないドラマを時々見かけるが、正直手抜きだと思う。振るだけ振って後は知りませんよというのはつまらない。現実世界ではありがちなことなのだが、フィクションなんだから。理由が知りたいからドラマを観るのだ。

菅田将暉が可愛い。今いちばん注目している。NHK大河の義経もめっちゃ楽しみ!! 顔がきれいなだけでなく、無邪気さと奔放さが同居しているのが魅力だ。そして顔がきれいだ(と繰り返す)。子ども時代の整くんとそっくりなのもいい。どこから連れて来たの? と思ってしまう。

③ミステリアスな登場人物。最近の回ではライカ門脇麦)がそそられる。この不思議な少女が画面に登場するだけで胸が騒ぐのだ。マルクス・アウレリウスの『自省録』を使って整くんと暗号でやりとりするのも素敵。しかしその暗号を繰り出す速さには驚く。ライカは『自省録』を完全に暗記して、何ページの何行目にどういう言葉があるか、即引き出すことができるのだ。その美しさにも、もちろん惹きつけられる。

④ミステリアスでない刑事さんたち。風呂光さんがめっちゃ好き。最初の自信のない失敗ばかりのようすからだんだんと仕事に向き合う姿勢が変わってくる。だんだんと整くんに惹かれていくところも可愛くていい。この人がものを考えるときの困ったような表情がいじらしくて好きだ。尾上松也さんのファンなので、池本刑事ももちろん良い。また、「あすなろ白書」のときから目をつけて(?)いる筒井道隆さんもいい。若いときに青砥さんみたいな上司がいたら、毎日キュンキュンしながら出勤できたでしょう。

 ほんとに、このドラマの魅力は一晩中でも語れそうだ。

田村美葉『できるだけがんばらないひとりたび』 KADOKAWA

副題は「ひとり旅する前に知っておきたい51の心得」

この題名と副題はイマイチだと思う。「がんばらない」がいかにもという感じだし、副題の「心得」という言葉があまり好きじゃない。上から目線を感じる。

でも本の内容はぜんぜんそうじゃない。「旅」の楽しさに満ちた本だ。タイトルの付け方、むつかしいなと思う。

 この本を読んで「スパイラルエスカレーター」という言葉を初めて知った。著者の旅の「IT」がこれだ。自分のテーマを持って世界を回るというの、すてきだと思う。

 「観光」の旅はどんなにいろいろ回っても変わり映えしない。何カ国も旅して山ほど写真を撮っても、最終的には何も残らない。自分が写っているのにいったいどこの写真なのか分からなくなってしまったり、する。でもそれでも行かないよりましだ。ほんとにほんとにお出かけしたいと思う。今はしかたないから代わりに旅の本を読むのだ。

 「自分へのおみやげはいつもの日用品や食料品にする」「いつもの服を着る」「3食きっちり食べなくてもよい」「飲みなれたペットボトルを持ち歩く」など、いろいろ役に立ちそうなことが書かれているが、著者の「自分が自分らしく旅するためのルール」は3つ。

①ふだんしていることをする。

 旅、特に「ひとり旅」に出るというと「今までしたことがない特別なことをしよう」とか「みんなに自慢できるような体験をしよう」と気負いがちだ。また後で「なんであそこを見なかったの?」「なんでコレを食べなかったの」とか言われると悔しい思いになったり。ほんとに著者が書いているとおりだ。でも旅に出ることそのものが特別なことで、ふだんとは違う場所へ行くだけで十分なのだから、特に変わったことをしようと無理をする必要はないと書かれている。これ、失敗しないコツだと思う。今の「旅」はハレではなくケなのだと思う。

②損得を気にし過ぎない。

 せっかく遠くまで来たのだからと欲張るとろくなことがない。また、「最安値での購入」を自慢しがちなのも「あるある」だ。船の旅をしたとき寄港地を去った夜は「何をいくらで買ったか」の確認が行われ、嫌でたまらなかった。なぜか最安値で買った人がマウントを取るのだ。でも正直に言うと、いちばんよく使ってる言葉は「でぃすかうんと?」だ。

③自分の力を過信しない。

 これはほんとにだいじだと思う。

 ①~③を通じて、著者の考え方の基本は旅が非日常であるからこそ自分まで「非自分に」なっちゃいけないということだと思う。「普段の自分ができないことが旅先で出来るわけがない」「旅先で『新しい自分』をさがそうとしない」と書かれている。著者が提案しているのは「日常を暮らすような旅」だ。

 こういう旅が私もしたい。すぐさまお出かけしたくなる、そういう本だ。

 

テレビドラマ『スーツ』

2011年から始まったアメリカのテレビドラマ「スーツ」。日本版もフジテレビで放送され、月曜の夜を楽しませてくれた。

天才的な頭脳の持ち主だが弁護士資格を持たないマイクが、ハーヴィー・スペクターに見出されて「ピアソン・ハードマン法律事務所」に弁護士として就職。ハーバード卒と学歴も偽っている。ハーヴィーはすべて承知の上でマイクを自分のアシスタントにした。

弱肉強食の世界。ハーヴィーも実績を伸ばすために日々戦っている。マイクはハーヴィーに鍛えられ、守られ、機会を与えられて、しだいに一人前の弁護士として成長していく。同時にハーヴィーも相棒のマイクとの交流の中で人間らしい温かさを示すことができるようになる。

登場人物で好きなのは、ハーヴィーの秘書ドナと敵役のルイス、そして優秀なパラリーガルでありマイクと愛し合うようになるレイチェル・ゼインだ。

めっちゃきれいなレイチェルはメーガン・マークル。美人で野心もあるし、正義感も人間味も持ち合わせている。金持ちの娘であるにもかかわらず自立したいと望んでいる。父親に認めてもらいたいという思いからハーバードのロースクールを目指すが、何度も失敗している。そういう役の設定も好きだし、メーガン演じるレイチェルの表情、身のこなし等、好きすぎる。王子を射止めて当然の美しさだ。イギリス王室、彼女を失うなんて!

しかしこのドラマにはひとりも「良い人」が出てこない。「手段を択ばない」がモットーの人たちばかりなのだ。みんなが魅かれるのは「闘っている人たち」だからだと思う。頭が良く才能もあり口八丁手八丁の人間たちがしのぎを削っているのだ。誰一人として油断しないし、手を抜かない。これが社会の現実なのか。見たことの無い世界だが、おもしろい。

ハーヴィーも始めはスーパーマンのような水際立った仕事ぶりだったが、実際は次々と苦境が襲い掛かる。しかし「銃を突きつけられたとしてもその対応は140通りある」と言い、どんなピンチにも諦めない。

3シーズンまでノンストップで毎日観てしまった。今ちょっと疲れているので、一休みだ。実はマイクの偽装人生が苦しすぎて、もう見るのを止めようかとさえ思ったのだが、先の話をググってみるとやっぱり見ないわけにはいかない波乱と怒涛の展開のようだ。「どうなったか」ではなく「どのようにして?」が気になるドラマだ。

春の築地界隈

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今日は築地界隈を散策。

築地川公園は小流れの水も心なしか温かく見え、もう少ししたら小さな虫や水辺の生き物たちが姿を現すのではないかと思う。梅も、もう咲いていた。

井戸の手押しポンプを押してみている親子。きらきらと光る水が小さな手にふれては落ちる。芝生をハイハイしている赤ん坊もいる。

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ランチは立ち食い蕎麦「天花そば」でおろしぶっかけ蕎麦430円に春菊の天ぷら120円をトッピング。

蕎麦がうまい。腰があってのど越し良し。物の本によるとつなぎに山芋が使われているそうだ。つるつるしていて、うまい。つゆは私にはちょうど良い甘みのすっきりした味わいで、うまい。おろしもたっぷり。付け合わせのワカメがやわらかくて、うまい。トッピングで頼んだ春菊天がさくさくしてうまい。衣のあんばいが秀逸だった。

春菊天が二つも載ってたし、セルフサービスの水の横に「蕎麦湯」のポットもあって飲み放題なのだ!

立ち食い蕎麦、あまり馴染みがなくて食券を買い忘れてもたもたしてしまったりしたけれど、店員さんが声を掛けてくれて疎外感を感じることもなく無事完食。蕎麦屋はお店の雰囲気も味のうちだ。応対はそっけないくらいでちょうどいいのだけれど、居やすい雰囲気は欲しい。高級ぶって偉そうなのは粋じゃないから。とにかく、初めての店でトッピングまで注文できたのは、私にすれば上出来と言えるだろう。

『東京近郊 手打ち&立ち食い蕎麦』という本で見て行ったのだが、予想以上のおいしさだった。立ち食い蕎麦って、意外においしい。蕎麦をさっとたぐって席を立つ(もともと立ってるけど)という感じが好きだと思った。掲載店を制覇してみようかな。

 

中谷彰宏『美人は片づけから』 だいわ文庫

片づけよう! という気持ちになれる本。

①「片づける」とは、どういうことか。

自分の生活をデザインしていらないモノを捨てることであり、いらなくなったモノを捨てて人生をアップデートすることだ、と書かれている。

だから「片づける」行為で性格は明るくなるし、疲れがとれるし、やる気がわいてくる。ディティールに敏感になる。

②どのようにして片づければいいか。

「まず1個減らす」「減る方向へ矢印が向く」ことがだいじなのだ。片づいているほうがいいか、片づいていなくていいのか、自分がどちらの方向へ行きたいか、ベクトルの向きの問題なのだ。

「(成果が上がらなくても)心配しなくていいのです。大切なのは、『片づける』という行為です」と書かれている。

③いろいろなヒント。

095 一番いいものから使う。たとえ国宝であっても。

100 写真集、雑誌、パンフレットは、お気に入りのページを1枚残して捨てる。

106 ひとつ袋が来たら、それにいらないものを入れて捨てる。満杯になるまで待たなくていい。

 「まず1個減らす」というのが気に入った。「成果が上がらなくてもいい。大切なのは『片づける』行為だ」というのは、他の事にも言えると思う。一行書けば作家、というような。いつもそちらへ向いている。へこたれても、また矢印をその方向へ戻す。そういうことだと思った。

吉本ばなな『ハネムーン』 中公文庫

P7 私はそこを大切に思い、子供の時は服のままで地面にすわったり寝転んだりしていた。やがて大人になってからは、きちんと敷物を敷いて飲み物を持って、ひまさえあれば坐っていた。

 もう、これだけでこの小説が好きになる。こういう場所があったら、もうそれだけで幸せだ。ただそこにいるだけで満たされる場所。

 子どものころ私にもこういう場所があったっけ。家の裏山だった。石段を上がって、山肌をえぐったような雨の日には濁流が流れる道を登ると一メートルくらいの円形の平らな場所があって、その真ん中に大きなニセアカシアの木があった。白い花が垂れ下がってたわわに咲く春には甘い香りがそこら中に満ちた。

 幼い私はいつもひとりで山を登り、いつも歌っていた気がする。膝小僧はすりむけ、手はかさかさに乾いていた。そんな子だったのに。

 人には、大人になってもこういう場所が必要だと思う。そのことを思い出させてくれる物語だ。

 もうひとつ、オリーブという名の犬がいる。

P161 犬は、愛した分を必ず返してくれる。子供の頃初めてオリーブだけが僕が生きていることを全身全霊で肯定してくれた。それが、どんな時も生きていく力になった。オリーブは、死ぬまで、死んでからも僕がこの世にいることが悪いことではないと示してくれている。

 犬って、ほんとうに高貴なくらい人を見ない。その人が発するエネルギーだけを見ている。権力者であろうが金持ちだろうが美人だろうがブスだろうが、ぜんぜんとんちゃくしない。発しているエネルギーが穏やかで温かいものであれば、一切へだてなくなついてきてくれる。犬が自分の大好きな人に相対するとき、その肯定力たるや半端ない。

 庭があり、オリーブに守られて二人の恋は育った。それは、他人に自慢するものだったり努力したことへのごほうびのようなものではなく、ただお互いに許容し、受け入れる日々の積み重ねから生まれたものだ。まがまがしい宗教の影に怯えつつも二人はしっかりと自分たちの道をたどる。

P160 もしかしたら、私たちが育ててきたものは思っていたよりも偉大なものだったのかもしれないと思った。 ~中略~ ちょっとしたことを寝る前に話し合えたり、たいていの欠点をなあなあではありながらも、愛情をもって許し合える人がいたことで、私と裕志には自分以外のものになろうという憧れのようなものが一度も芽生えなかった。

 「自分以外のものになろうとする」ことほど人を毒することはないと思う。他人に誇る財力や権力、才能、業績などなくても自分自身であるだけで十分なのに、人は「何者か」になり「他人にそれを認めさせ」たいと願う。誰かを自分に跪かせたい。

 『星の王子様』に出てくるいばりのや男のように、「俺に感心してくれよ」「手をたたいてくれよ」と求める。王子さまがパチパチと手を叩いてあげると、帽子を脱いでお辞儀をする。何度でも、繰り返したいのだ。王子さまはあきれて立ち去る。この男みたいな人、いる。

 私の友達のひとりもそうだった。すごいと認めてほしくて、でもほんとはすごくないと分かってるから不安で悲しかった。自分は特別だと思い込むために、ただそれだけのために彼女は狂気の世界へのめり込んで行ってしまった。変な霊能者のような人に前世は高貴な人物だったと告げられてそれを心の支えにしてしまった。止められなかった。聞き入れない。王女でなくても、ただそのままの彼女で十分だったのに。みんな、そのままの彼女が大好きだったのに。

 思い出でも犬でも、人間でも、傍に居てその存在を許し合える相手が、人には必要なのだ。でもそういう関係を育てていくことは綱渡りのようにむつかしい。目先の欲得で「間違ったこと」を言ったりしたりしてしまうと、関係はもろくも崩れる。この物語の恋はただ平凡なやさしいかわいい恋だけれど、それが育つのは奇跡みたいなものなのだ。犬だってエネルギーの質が気に入らないと傍に寄っては来ない。

 筋をたどる本ではない。ひとつひとつ味わう。場面が心に沁みてくる。一緒に心の中を旅して観るもの聴くものを味わう。ばなさんの本はそんな本だ。

小野不由美『風の海、迷宮の岸』 十二国記 新潮文庫

魔性の子』の高里の幼少期。

高里要を憎む狭量で高圧的な祖母は理不尽な躾を繰り返していた。要をかばう母は祖母に叱責され、いつも泣くのだった。父はもとより子どもの心情を理解するような人物ではなかった。

ある夕暮れ、要はいたずらを正直に白状しないと責められ雪のちらつく中庭に出された。寒さに凍える子どもは建物と建物の間の隙間から白い手が自分を差し招いているのに気づく。そこからは温かい空気が流れてきていた。子どもはその手の招く方へと近づいて行き、そのまま異世界へ運ばれていった。

要はもともとその異世界に生を受けた、人にあらざる高貴な生き物だったのだ。

ほとんどの人は少年少女の時代に、自分はこの家の子じゃないんじゃないだろうかと疑ったりすると思う。親や家族への違和感。それがほんとだったという話だ。

要は自分の運命を受け入れつつも望郷の念に駆られる。どんなにやさしくされても癒されない孤独を、彼は抱えているのだった。

この話のあらすじを書いても始まらないと思うので、感想めいた思いをひとつ。

「間違ったこと」をしなければ人生はうまく行くと思う。欲が働いて頭で損得を勘定した末の行動は自分にとってほんとうは良くない場合が多い。逆に、損か得かはわからないが、自分はこうするしかないと心が訴えている行動は正解なのではないだろうか。それは感情の赴くままにとか欲望に駆られてというのとは違う。自分にはこれしかない、別のことをしたのでは生きているとは言えない、ということがあると思うのだ。

自分の「ほんとうの気持ち」に気づくことがたいせつだと思う。

なんとなく良くない予感がしているのに、世間はこうだからとか目先の利益とかに惹かれて選んでしまった道は後悔へと続く。逆にたとえ世間的には損をしても最終的に自分が満足し幸福感を感じられる道もある。

麒麟が王を直感で選ぶという下りを読んで、そんなことを思った。読んでいない人にはぜんぜんわからないと思いますが。