作 東野圭吾
講談社文庫
BBには全然入ってこない。
武者小路実篤「友情」の現代版みたいな話。
麻由子が嫌い。著者は男だから美化して書いているが、いい子になりたいだけ。気持ちが移ったのは仕方ないが、その時点で率直に話すべき。智彦を馬鹿にしている。
「私はモテる罪深い女」というナルシスムで周囲の人間を不幸にしていく女だ。「バカバカ、こんな女公園の隅にでも捨てて行くのよ!」とBBが声を枯らして叫んでも、無駄だ。美人だから。(僻んでるなぁ、自分)
こんな女に前途有望な青年二人が翻弄されるなんて! 美人だから、仕方ないか。というか、一生に一度くらいはこんな破目になってみたかったかも。(本音は羨ましい)
でも、私は正直もんだから、すぐに「ごめん! ○○には気持ちがなくなってしまったの」とか言って、可愛げのない女として最終的には両方から捨てられるのだろう。たとえ美人に生まれついていたとしても、私はモテないのだ。(諦観)
でも、「記憶」についての考察は面白かった。
①私たちは「記憶」で出来ているということ。
②記憶は常に変更され、塗り替えられているということ。
説得力がある。
でも、テクノロジーで記憶を操作するのではなく、その後の生き方で自分の記憶の意味を変えていく方が前向きで素敵だと思う。「こんなことがあったけれど、乗り越えて強くなれた」とか「災い転じて福と為す」とか。