トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

「教師間のいじめ」のニュースから思うこと  

ボスとされる40代女性教師を中心に何人かの教師が同僚に激辛カレーを食べさしたり、目に塗り付けたりした事件のニュースを見て考えたこと。

 

〇信じられないのは、加害者の女性教諭が「保護者や児童からは人気があった」という報道。いい先生だったのか!

 私からすると、他人の目に激辛カレー(激辛でなくても)を塗り付けるような人間は人格が破綻しているとしか思えないのだが。「そうなんだ」としか言いようがない。裏では残酷な苛めを主催しつつ、表面では「いい先生」を演じ切っていたのということなのか。

 で、どういう人たちに質問したのかな、と思うのだ。その先生の一派からしたら、「いい人」だったかもしれない。その先生に可愛がられている子供たちからしたら、「いい先生」だったかもしれない。でも、そう思わない人間も居たはず。

 きちんと取材しているのかな、と思うし、他人の評判と言うのは当てにならないものだとも思うのだ。

 

〇もう一つは、「教師間のふざけたじゃれ合いがいじめに発展することがある」という意見があったこと。

 おふざけと苛めは、発生からして本質的に違うと思う。

 ふざけ合うのは対等な関係で行われることだが、虐めには圧倒的な力の差があるのだ。そこに対等な関係がないとき、一見おふざけのじゃれ合いに見えたとしても、それは苛めなのだ。

 もしその発生が同じだと言うなら、性的いやがらせなんかも、もとはじゃれ合いだというのだろうか。不快な接触は始めから不快なのであり、被害者にとっては、好き同士がじゃれ合うのとは根本的に違う。

 つまり、「始めはおふざけのじゃれ合いだった」というのは、加害者の感想に過ぎない。被害者はその発端から苦しんでいる。ただ、それが軽度である間は我慢しているだけなのだ。相手が圧倒的に強いから。

 

〇三番目は、教師集団の在り方について。

 この学校の教師集団はどういうものだったのかなと思う。

 「知らなかった」では済まされないことだ。

 「よくないことが行われている。なんとかしなければ」と考える先生はいなかったのか。被害教諭をみんなで見殺しにしていたのか。「苛めはどこの世界にもあることだから仕方がないよ」という雰囲気だったのか。「自分まで虐められたら大変だから、見ないようにしていよう」と思っていたのか。

 そんなことで健全な教師集団と言えるのだろうか。

 「見て見ぬふりをしてきた」「同僚が苦しんでいることに気付けなかった」「良くないとは思ったが行動できなかった」など、反省点があるのではないかと思う。

 そこが見えてこない中で、「給食のカレーを中止しました」となるから、失笑を買うのだ。

 カレーでショックを受ける児童が一人でもいる可能性があるなら、カレーを出すべきではないという意見もあったが、児童がショックを受けたのはカレーにではなく、安全である筈の学校内であのような暴行が行われていたことではないのか。信頼していた教師があのような蛮行をしてそれが撮影されていたことではないのか。たくさんいる教師の誰一人として、あのいじめをやめさせようとしなかったことではないのか。

 「カレーを給食に出すのをやめよう」と職員会議でまじめに議論している様を想像すると背筋が寒くなる。シュールな光景とすら感じる。