トマト丸 北へ!

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句会は私のために開かれている

久しぶりに句会に参加。

最近、句会に参加することにあまり気が進まない。

そのことで尊敬する句友に相談しようとしていたら、主宰もおしゃべりしましょうと来て下さった。

「俳句は『座の文芸』だから、やはり句会に出た方がいい」と言われた。

そうだと思うのだが、そうだからこそ、今のこの句会が楽しくないのだと思ったが、そうは言えなかった。

メンバーにBBが多いのが気に入らないのだ。

BBは、ただ年取った女というだけではなく、色々な特徴がある。80歳、90歳、100歳になっても、BBではなく「女の子」(いい意味で!)である人もいるし、7歳くらいからBBしてる女性もいる。

BBは、自信がないから隙あらばマウンティングをする。BBは男や有力者に媚びる。BBは自分語りが止まらない。BBは声が大きい。BBは平気でオナラをする。BBはいわゆるサゲマンが多い。BBは指図がましい。

当然BBの俳句も気に入らないわけだが、主宰はBBにも程よく点を与えておられる。それを見ていて、「ああ、自分もこんな風な感じで点を入れてもらっていたのだ」と思い、今まで熱心に勉強し作句していたのが馬鹿らしくなったのだ。

句会は相互に点を入れ合うので、やはり高得点だとうれしいし、主宰の点をもらえば更に喜ばしい。お点に一喜一憂してしまうのが句会なのである。

こんなことに踊らされていたのか! と思ってしまうと、もうだめだ。申し訳ないが主宰に対する崇拝の念も揺らいでしまうのであった。

残り少ない私の人生、こんなことに時間を浪費していいのか。ほんとに充実して過ごさなくていいのか。誰のための人生なんだっ!

と、ここまで考えて、私はいったい誰のために俳句を作っていたのだろうと愕然とした。句友のため? 主宰のため? BBのため?

勝手に主宰を理想化して勝手に幻滅したり、BBの言動にイラついたり、どうしてこんなことになるのか? 楽しかった俳句作りがどうしてつまんなくなっちゃったのか?

そうだ、私は何のために誰を向いて句を作るのかを忘れていた。これからは自分のために俳句を作ろう。他人の評価を気にして、俳句を作るのは自分のためだということを忘れていた。始めたころのように楽しんで作れば良いのに、自分で自分にプレッシャーをかけて苦しんでいた。

これからは初心に戻って楽しもう。自分のための人生だし、自分のための俳句だということを忘れないようにすれば、大丈夫。

「句会は私のために開かれているのだ」と思っていればいいのだ。句会は一人じゃ開けない。BBたちも私のためにわざわざ集まってくれているのだと思えば有難いことである。