トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

死ねばいいのに

「死ね」とか「バカ」とか他人を傷つける発言は、誰よりも身近な自分自身を傷つけてしまう。なぜなら魂は誰に向かって発せられたかを区別できないからだ。だからそんな言葉を発してはいけない。やり返しても、負の連鎖が永遠に続くだけだから、うまくかわす方がいい。

この理屈をけっこう信じてきた。

誰かに嫌なことをされたとき、心の中ですらやり返すことを自分に禁じていた。穏やかに見せかけて、忍耐して。自分で自分を規制して、正直な怒りを抑え込んで、疲れ切ってしまっていた。それが出来るのが立派な人間だと思っていた。

その結果としては野良犬のような、いえ、犬を侮辱してはいけない、ノラ人間たちに踏みつけにされるという苦い経験が待っていた。そのうえ、やられっぱなしでいると、どちらの味方でもなかった人たちまで踏みつけにする側に加担してしまうというおまけまで付いて来る。

やられっぱなしでいるのは本人が悪い。堂々といじめる人間の方が偉い、と人は思ってしまうのだ。弱い方についたら自分が危ないという理由もあるだろう。

まあ、そんなことが多い。

人の悪口を言ってはいけないと言うが、盛大に悪口や中傷を垂れ流している人たちが不幸になっているかというと、そうでもない。恙なく悪口を言い続けているように見える。

不運は、悪い人間にもいい人間にも平等に訪れるらしい。

だから誰にも守れないようなモラルを自分に課しても一文の得にもならないのだ。私はいったい誰のために「我慢」してきて、そのために実際に意気地なしになるまで我慢が習慣化してしまったのか。一番大事なのは、自分自身じゃないのか。

人をマウンティングして、魂を傷つけるようなことを平気で言ってくる人たちに対して、「死ねばいいのに」と思ってしまっても、当然じゃないのか。

まず、それはそれとしてよしとしようと思う。大切な人間が侮辱されたら腹が立つ。誰よりも大切な自分自身が侮辱されたら、腹を立てて当たり前なのだ。いけないのは、それを引きずり、下らない人間たちにこだわって時間を無駄にすることなんだ。

始めに私を貶めたのがある人達だったとしても、それを引きずって自分の時間を台無しにすることが出来るのは私自身だけだ。

悪い人たちに遭遇してしまうのは避けられないが、その接触を最小限にして、すぐに言い返し、やり返し、やり返せなければ「死ねばいいのに」と心中で言って、すぐに許してしまおう。それは誰のためでもない、限りある命を生きる自分自身のためだ。

悪口や苛めがいけないのは、そういうことをしていると悪い人間になってしまうからだと思う。悪い人間になっても世間的には栄えて生きていけるし、表面的には強いしっかりした人間に見えるかも知れないが、私的にはそういう人間になることは幸せではない。だから、私の目指すところは、マウンティングしまくる人間という名のサルになることではない。

ただ、「死ねばいいのに」と思ってしまうことは、自分に許そうと思う。正直な気持ちを抑え込んでも、幸せにはならないから。自分に嫌なことをした人間に作り笑顔で挨拶したり、すまい。なめられるだけだから。まず自分に正直に、ありのままの感情を否定しない、ここから始めようと思う。

このこと、以前にも書いたかも知れないけれど、もう一度肝に銘じて置こう。