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『善人ほど悪い奴はいない』 ニーチェの人間学 中島義道 角川新書

ニーチェが攻撃しているのは他者ではなく、自分の中にいる「善人」なのである。

ということを言っているのだと思う。

ニーチェが好きな私としてはあまり愉快な内容ではない。

というか、ではどうしろと言うのか? という感じを受ける。

著者が嫌っているのは自分に対するごまかし、自己欺瞞だと思う。

「という感じを受ける」「と思う」を多用してしまうのは、私が自分の理解に自信がないからなのだが、自信がないまま、感じたことをまとめておきたい。

著者がよしとしているのは、サルトルキルケゴールの持つ「自分自身に対する徹底的な批判精神」だ。

「彼は、選ばれた少数者でありたかった。だが、そうでないことは彼が一番よく知っていたのである」など、ニーチェはあまり高く評価されていないようだ。

「超人」という幻想に逃げながらも、自分がそうでないことを知っている。しかしその現実を受け入れることができないので、その対極にある「畜群」を激しく攻撃するのだと。

著者は「畜群にも超人にもなりたくない」と書いている。徹底的に繊細かつ精密に自分自身を見つめたいということか。

こういう人にとっては自分が物事をきちんと見据えているという自信が大切なので、たとえ自分が真実を知ることによって不幸になるとしても、間違った見方をすることには耐えられないのだ。自分は物事を客観的に観ている。他人にも自分にも騙されていないということ、正しく見ていることが、そんなにも重要なのだ。

以上が私の読み込んだ総論であり、それに対しては、「正しく観ることはある種の人たちの存在理由であり性であり美意識であるから、どうにも仕様がない」という感想を持つ。

じぶんの目で物事を見る勇気がないので「世間」や「社会のマジョリティ」の判断に嬉々として従う「畜群」になるのはもちろん彼らの拒否するところだが、自分を「超人」だと見做すのも自己欺瞞の一つだから、断じて受け入れられないわけだ。