私は病院に掛かると元気が出て、それをホスピタル・ハイと名付けている。
薬を貰ったり処置をしてもらう以前にすでに普段よりも少し元気さが増す。
昨日、日帰りの手術をしたのだが、やはりハイになり、今朝も明るい気分で目覚めた。
思うに、自分のために他人が手を掛けてくれること、優しくされることに飢えているのだと思う。
ケアされない人生だ。
子供のころ何か失敗すると、「心を入れ替えなさい」と叱責されたものだ。慰められたり、励まされたりはなかった。もちろん風邪なども失敗の一つだ。
今なら「お母さんあなたは失敗することないの? 完璧なの?」と言い返すことも可能だが、幼心は「私はだめな人間なんだ。このままでは世の中に通用しないんだ」と思い込んだ。
母が特に意地悪かった訳ではなく、彼女の「思い癖」「染みついた口癖」なのだ。
もちろん「心を入れ替える」ことなど出来ないし、人生は失敗の連続だ。
たまにうまく行くことがあると、「調子に乗るな」と戒められたり、「そんなことで得意になっているのか」と蔑まれた。
今も近しい人からほぼ同じ扱いを受けている。隣人から苛められたりもする。
その連続で優しさを受け入れられない体質になってしまったのかも知れない。優しい人も、あまりの頑なさが嫌になって遠ざかってしまう。負のスパイラル。
病院だと、患者は優しくケアされるという役割だから、素直に優しくされることができる。それで、元気が出るのだ。
こうやって助けてもらった体なのだから、毎日の命を大切に生きよう、とさえ思う。
だいたいが大人はそんなに「やさしく」はされないから、ホスピタル・ハイの人、けっこういるんじゃないかと思う。
当たり前のことだが、人は優しくされると元気が出る。いじわるされると暗くなる。
優しくすることで人は良いカルマを積み、いじわるする人は悪いカルマを負っていくという話には納得できる。
優しい人には感謝。いじわるな人は、たぶん、知らないうちに悪いものをしょっている。(分からないけど)
現実的にも、近しい人にはやさしくしたほうが自分にとっても得だと思うのだが。なぜ出し惜しむのか、逆に押さえつけなければならないと思い込んでいるのか、不思議。
病院の医師や看護師などの方々には本当に感謝だ。尊い仕事だと思う。美容院だとか接客業の人たちもたいてい愛想がいいが、質が違う気がする。仕事だという以上のことをしてくれている。これがいわゆる「ホスピタリティ」というものか。
私も、これを少しでも実践したいと思います。