トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

ドッペルゲンガーファイト

隣家の主婦が我が家の呼び鈴を押した。

階下に居る家人が出るはずと思っていたが、その気配が無い。仕方なく階段を降りカーディガンを羽織り、靴下を履いて出て行ったら、誰も居なかった。

郵便受けに回覧版が押し込んであり、その女性はもうかなり離れた所にいた。声を掛けようとしたが、振り向いた顔の恐ろしさに声を失った。それはもう酷い顔つきなのだ。

憶測だが、私がわざと呼び鈴に答えなかったと思ったのではないか。

でもでも「人が来たらすぐに出なければならない」のだろうか。こっちだって色々事情があるのである。

この人は以前朝の6時に回覧版を持ってきたことがある。もう起きて台所をしていたが、とても外に出られる格好ではなかった。その時も待たせてしまって睨みつけられたものだ。

私だったら、すぐに応答がなければ、「今は都合が悪いんだな」と思って郵便受けに入れるか、大事なことなら出直すだろう。そこで怒ることはないのではないか。

この人はそれが許せない人だ。許さないし、報復してくる。穏やかに応対すると、なお嵩にかかって攻撃がつのる始末だ。しばらく収まっていた意地悪がまた始まるかも知れないと怖くなった。

そこから、なんと嫌な人だろうと憎しみが湧いてきた。

どうしてこんな人が隣に住んでいるのだろう。衣食足りてるはずなのに、なぜ人を憎むのだろう。などなど。

でも、世の中穏やかないい人ばかりではない。何の関係も無い人にいきなり切りつける人だっているのだ。

どうしてこんな人がいるのだと悩んでも仕方がない。いるのだから。この世は楽園ではないのだ。

もしまた何か言ってきたら、毅然として対応(する練習)をすればいいのだ。うまくいかないかも知れないが、出来るだけ堂々と自分を主張するしかない。

そう思ったら、もしかしたらあの表情もあの人が本来頻繁に見せるもので、大した意味はないのかも知れない、単なる何かに対する反応かもとさえ思えて来た。それが回覧版に関係しているかどうかも確定ではない。

想像を膨らませて、勝手に相手を(必要以上に)恐れると、憎しみが湧いてくる。不毛な心の消耗だ。憎しみはまた憎しみを呼ぶ。その人の良い面も、出る機会を失ってしまう。かと言って笑顔を見せるとへつらわれたと勘違いして嵩にかかって来るだけだから扱いが難しいが、少なくとも自分から悪意を放射することだけはやめよう。

何かあったら戦うと覚悟を決めて置けばそれでいい。まだ何もないときに怖れを膨らませるのは止めようと思う。

と、ここまで書いて気が付いた。すべて、妄想かも知れない。

人間は(私だけ?)、何かちょっとしたきっかけで妄想が始まり、止められなくなる。そのために消耗して、へとへとになる。相手は隣家の主婦などではなく、自分自身だ。ドッペルゲンガーファイト。