昨今の新型コロナウィルス対策を見ていて、この人たちは誰のために活動しているのかなと思ったりする。
学校は休校にするけれど学童保育は継続するって、信じられない。
学童保育の現場を見たことがないのだろう。
その中はカオスだ。大体が部屋の広さに対して多すぎる人数が閉じ込められている。学童の子供たちは、休校によってその中にいる時間が倍くらいになるのだ。
親が家にいることが出来るように休業補償をするというけれど、彼らはみんな社会に必要な仕事をしている。殊に医療の現場で働く人たちは、今こそ必要性が増していることは誰が考えても明白だろう。
休業補償をすればいいという発想は、「お母さんは家に居ればいい。お金さえ入れば仕事が出来なくても平気だろう。社会もそれほど困らないだろう」という女性蔑視が根本にあるような気がする。
その証拠に学校は閉鎖されるが、通勤電車でもコロナ対策は時差出勤以外考えられていないみたいだ。あの空間こそ問題だろう。電車で通勤している人たちの仕事は止めたら大変だから、そのことには触れないのではないか。
千葉市長の、「働く母親、共稼ぎの家庭の低学年の児童については学校でめんどうをみる」という方針は現実的で優れていると思う。なぜ、全国この方向で行かないのだろうか。
休校になっているのだから、教室は空いているのである。広々と使うことが出来る。
学童では、ほとんどが膝を突き合わせるようにして昼ご飯やおやつを食べるのだ。
政治家は票集めはするけれど、あまり実態を見ようとしていないのでないだろうか。
全国的に休校を決める前に現場の教師たちの意見を一度でも聞いたのだろうか。医療の専門家だけでなく、教育の専門家の話も聞くべきだろう。医療の専門家と言っても研究者だけではなく、臨床にあたっている人が必要だ。現場を知っていることが大切だ。
以前、市民活動出身の女性議員と選挙の前に話したとき、「学童の現場を見に来てください」と言ったら、その場では「行きます」と言ったけれど、ついに来ることはなかった。レポートの乗った雑誌が送られてきたが、学童の問題を取り上げることはついぞなかった。
信用できないな、と思った。
政治家なら、数字だけでなく社会の現状に目を向けて、アンテナを世界に向けて張っていてほしいと思う。民の憂いを見逃さず、自分の憂いとしてほしい。
テレビに映る政治家たちの中にただ一人、その顔に憂慮の表情が現れている女性議員がいた。その人に期待している。感情で動いていい仕事ではないだろうが、その根本のところに民を思う気持ちがなければ、政治家はただの政争の道具に過ぎない。
政争に明け暮れるだけの人生は、本人にとってもよい人生とは言えないだろう。
だんだん悪い顔になってきている人たちもいる。悪い行いは悪い人間を作るから良くないことなのだと思う。金と権力を得ることが幸せだと思い込んで、それを手に入れて得意になって、それが幸せだと信じている人生が成功なのかな。
今、この新型コロナウィルス対策に本気で取り組んでほしい。命の問題なのだ。