トマト丸 北へ!

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野原さんに会わないために私の出来ること

仮に彼女の名前を野原さんとする。

私はその人が嫌いで、彼女も私が嫌いで、とても仲が悪い。

一年に一度、ごみ当番の順番が来るとき、彼女が私の家のベルを押す。ごみ当番の札を渡し、私を罵って帰っていく。

私の顔を見るとむかむかしてきて何か言いたくなり、ひとこと言うとその自分の言葉に興奮して止めどが無くなるらしい。

それは一年に一度だから我慢しようと思うのだが、思わぬ時に遭遇して不愉快な思いをすることがある。

私は彼女の姿を見たり、その言動を思い出すだけでも不快な気分になってしまう。もちろん彼女もそうだろう。

良く晴れた気持ちの良い朝でも、彼女が道を歩いているのを見るだけで台無しになる気がするくらいだ。もちろん彼女にとっても同じようなことかも知れない。

出会いたくない。接触を避けたい。なぜ近所にこんな人が住んでいるのか。

で、このごろ気づいたことがある。それは、彼女と遭遇する前には、だいたい私の心の中に何か醜い感情が沸き起こっているということだ。

たとえば昨日、散歩の途中にふと嫌なことを思い出した。あんな嫌な奴、死ねばいいのに と心の中で独り言を言った。すると五分後に彼女が向こうから歩いて来たのだ。

これを予感という人もいるかも知れないが、私は違うことを思った。

自分の醜い思いが醜い現実を引き寄せたのではないか。

そういう風に考えると、何か嫌な出来事が起きる前にはだいたい自分の心の中にネガティブな思いが沸き起こっているような気がする。

引き寄せているのか、外界が私の黒い感情を具体的な形にして見せているのか、そのどちらかではないだろうか。

この仮説が正しければ、私が野原さんに対する悪感情に捉われたり他のネガティブな感情が胸に巣食わないよう気をつけていれば、彼女に遭遇する回数は減るはずだ。

逆に言えば野原さんは私の心の状態を測るリトマス試験紙なのかも。

長年生きてきて、自然とこういうことに気付いた。この仮説を立証してみようと思っている。しかしそう思うだけでも、もう、野原さんがそれほど嫌な奴とは思えなくなっている。けっこう良い方法なのかも。

念のため。野原さんは具体的に実在する人物ではなく、象徴的な存在です。