トマト丸 北へ!

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新型コロナ的戦闘生活

早くコロナ生活が終わって日常を取り戻したいとのみ思っていたが、考え方を変えることにした。

今まで、非常時=非日常という感覚で、気分的にやや浮足立っていたと思う。

しかしこれは長期戦だ。

また、人生そのものでもあると考えるようになった。

理不尽な出来事、不条理な不幸、突然の罹患、死。それら全てがいつ襲い掛かってくるか分からない不安。その不安がサディスティックな反応を呼び、暗い人間性が浮き彫りになる。迷走しているように見える政治家たち。その政治家を無条件に支持し続け、励ます無知な人々。

その反面、崇高なまでに自らの職務を遂行する誠実な人々。医療関係者、食料品を販売してくれる人たち、交通機関を動かしてくれる人々。政治家の中にも、頑張ってくださっている人が居る筈だ。ゴミの回収も休まずやってくださっている。郵便も届く。コンビニも開いている。その他たくさんの職種の人たちがこのコロナの恐怖の中で体を張って世の中を回してくれているのだ。

これらのことは、世の中の真実、人生の現実そのものだ。以前からこの通りだったのだが、この新型コロナの恐るべき流行により、顕在化してきたのだ。

今まで生活に追われて気づかなかっただけで、これこそが日常の真の姿なのだ。

外へ出るな、という念仏やマスク着用などだけでコロナが終息するとは思えない。ワクチンの開発には一、二年かかると言われているし、特効薬が見つからない限りこれは長引くと思う。

非常事態宣言に沿った生活を何か月も続けることは不可能だ。この状態で出来る限り工夫して日常生活を取り戻し、それぞれの業を継続していくことが大切だと思う。

もう、世の中はその方向へ進んでいる。

お店、開けられませんではなく、この状態でどう営業していくのか、様々な工夫が報道されている。

政治に期待せず各自が動き続ければ、それにより政治が動くこともあるだろう。

私も、この状態で如何に自分の日常を実現するか、工夫していきたい。でなければ、無為のままで人生が終わってしまう。

このコロナ危機には期限が無いからだ。

ワクチンや特効薬が出来たとしても、歴史が証明しているように、そのうちまた新たなウィルスが現れるのだ。危機はウィルスが招くものだけではない。ほんとうに何が起こるか分からない。

私達がするべきことは、戦いながら世の中を回していくこと、創意と工夫をもって自分らしくしっかりと人生を味わいながら生きていくことだ。思考を停止せず、自分で考え、自分で判断することだ。これは非常事態宣言の期間だけのことではないと思う。