トマト丸 北へ!

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お腹がすいたときに読む本 『ごはんぐるり』 西加奈子 文春文庫

お腹がすいたときに読む本、だからと言って読んだらお腹がくちくなるわけじゃない。むしろもっともっと「食べたい」感が増して来る、そして食べることがもっと魅力的に感じられる本だ。

作家すごいなあと思う。食レポなんてものじゃなく、食べることの楽しさや意味がぐっと深まる一冊だ。そして読み進むうちに筆者のことが大好きになってくる。言葉の端々に西加奈子があふれてる。

「骨のように白い上靴」「春に買い替えるもの」「(たこ焼きへ)ごめん。ほんまは大好きやねんで」などなど。

殊に結びの一文がいい。

「古い本をひろげながら、白いごはんを食べている私の姿は、さぞかし不気味だろう。でも、それが出来たら、私は絶対、自分を褒める。」

「にっちゃ、にっちゃ、にっちゃ、にっちゃ。まるで妖怪だな、と思う。」

などなど。

印象に残ったのは、「舐める春」。食べ物ではなくても味わってしまう面白さ。そして、学生時代のおバカな明るい感じが忘れがたい。

「旅の悪食」と「日常の悪食」も面白い。

旅に出るとご当地の名物ではなくてコンビニで売ってるような駄菓子をもりもり食べてしまうという筆者。「旅行の道程で何かを食べることに、私は特別な楽しさを感じるらしい。」というの、よくわかる。

気心の知れた友人たちと出かける楽しさ、わくわく感、安心感、そしてどこかへ移動してしているという心の解放感が、ふだんは食べないコンビニおやつをおいしく感じさせているのだと思う。旅は、どこへ行くかというより、誰と行くか、だから。

「日常の悪食」も捨てがたい一文だ。

彼女は、「べさべさに伸びて、汁気がなくなった麺類」が好きだという。それも、汁無し麺のように始めから汁無しで作られているものではなく、本来始めは汁の中に浮かんでいるものを汁無しの状態にして食べたいのだと言う。そのものは、「脳みそ」のような状態だそうだ。

これも共感できる。というのは、私は、しけったお煎餅が好きだからだ。それも、染み煎餅のように始めからにちゃっとしたものではなく、ぱりぱりのお煎餅が空気中の湿気で柔らかくたわみ、くんにゃりしたものがこよなくおいしいのだ。

だから、筆者の気持ちがよく分かる。

この一文で特に好きなのは、蕎麦好きの夫との昼食では、このべさべさ麺は食べないというところ。同じ出汁で夫には蕎麦、自分用にはうどんを用意するのだが、「大好きな夫の隣で、何かの脳みそを、すすりたくない。」って、めっちゃ可愛い。

「出汁のない味噌汁」「ゼイナブの紅茶」も、くっと胸に入って来る。子どものころ初めて用意した朝食。未明に起き出して、ふと自分に朝食が作れそうだと確信した感じ、なんか分かる。そして忘れがたい女性、ゼイナブ。この本を読んでから、私の心の中にもゼイナブが住み着いてしまったような気がするほどだ。