エンドロールに「36歳の少女」とタイトルが出た。
望美はまだ「少女」だってこと。
これは、私たちの心に棲む永遠の少女(少年)の物語だ。
登場人物それぞれが自分の本当にやりたかったことを見つけ、前へ進み始める。
これってやっぱりおとぎ話だ。シンデレラは王子様と結婚して幸せになり、意地悪な継母や姉たちは不幸になりました、的な。
でも私達にはおとぎ話が必要。だからドラマを観る。
このドラマも、それぞれ収まるべきところに収まったという感じだ。
しかしハッピーエンドになって良かったね、というドラマではない。私は二つの強いメッセージを受け取った。
35歳までの25年間眠り続けてって、実際には(たぶん滅多に)あり得ないかも知れない。でも、そうだろうか。眠ってる人、けっこう多いと思う。死ぬまで、目覚めない人もいる。
心の中の、本当の自分の話だ。無垢な少女の自分が、管に繋がれて心の奥に眠っている。
ある日突然その少女が目覚めたりしても、外界と接触しつつ自分らしく生きていくのは大変だ。心が爆発して死んでしまうこともあるだろうし、たたかれまくってもう一度殻にこもって眠りにつくかも知れない。
でも、逃げることなく自分の足で立って戦い続ければ、少女は本当の意味で成長し、生きることができる。とても勇気がいることだ。世界から抹殺される危険もある戦いだ。
しかし戦わなければ、喜びとは無縁の灰色の人生を送ることになる。戦わなければ、自分の中の幼い女の子を成長させ、生き延びさせることはできないからだ。
これが一つ目のメッセージ。
二つ目は、本当の自分を目覚めさせ、その成長を見守り、自爆から救うのは、家族とのつながりだということ。
その人がほんとうにその人らしく生きるためには、家族とのつながりが必要なのだ。
そのつながりは相乗的なものだ。
自分を抑え込んでいる間は、つながることができないし、つながりがなければ自分を解放できない。
達也は、引きこもって家族を拒否している間は自分のしたいことを見つけることができなかった。達也が部屋から出て来てしたい仕事を見つけたのは、家族が彼を信じて見守り続けてきたからだ。
望美の母の「希望」が、最終的に望美を目覚めさせた。同時に多恵自身も、彼女らしい笑顔を取り戻したのだ。
素敵なドラマだった。内容よりも、登場人物の一人一人に共感できるし、彼らを観ることが歓びだった。
殊に、心は十歳、体は35歳という難しい役を透明感ある美しさで演じた柴咲コウに魅かれた。
「結人くん」と甘えた幼い少女の声を出したり、パタパタと畳み込むように周囲への批判を繰り出しはっぱをかけたり、苦しんだり、笑ったり。幼さだけであれば結人との恋がグロテスクになってしまうだろう。人を愛することが不自然でない成熟と無垢な心が同居している望美を演じることができるのは彼女だけだという気がする。
NHKの大河では生かしきれなかった彼女の豊かな人間性があふれているドラマだ。
それと時岡多恵の鈴木保奈美。「東京ラブストーリー」の彼女がどんなに素敵だったかを覚えている私たちを失望させない美しさと愛らしさを残しながら白髪のエキセントリックな女性を演じてみせた。最後に望美を訪ねたとき見せた彼女の笑顔には心地よいカタルシスを感じた。
みんな素敵なんだけど、やっぱり一言書きたいのは結人くんの笑窪。心の中の少女を目覚めさせるのは、家族とのつながりだけじゃないかも。