居候だと思えば一切腹は立たない。
もくろんでいた新居のインテリアを台無しにする家人に対してどうすればいいのか、考えた結論がこれだ。争いごとはまっぴらだ。
ここを自分の家だと思わず、自分は居候だと思えば、必要以上の義務感および全能感(私がなんとかできるはず、がんばればなんとかなるはず)に悩まされることもない。
『お縫子テルミー』という小説が大好きだ。
テルミーは自分の住まいを持たない居候だ。住人の邪魔にならない場所に自分の居場所を作り、自分にできる手伝いをする。それだけ。幅ったいことはしないし、なんの意見も言わない。でも、「一針入魂」のお縫子であることに誇りを持っている。
テルミーのように謙虚に、かつ強かに生きたい。
私のモットーは二つ。
①来た時よりも美しく
道を歩けばゴミを拾い、家に入れば少しでもきれいに片付け、雑巾をかける。それはどこへ行っても同じようにする。
私がいたことで世界が少しでもきれいになったと思えれば嬉しい。
②どこでも書斎
リュック一つで移動し、中身を広げれば、どこであれ、そこが私の書斎になる。スタバでも、ビジネスホテルの化粧台の前でも、公園のベンチでも。机と椅子があることが望ましいけれど、無くても差し支えない。
この二つのモットーを忘れなければ、どこに居ても楽しく過ごせるというもの。
今いる所はマンションの上の方の階で、以前の住まいに比べるとまるで鳥の巣だ。
空が近くて、雲見も、し放題。大げさに言えば地上を見下ろす感じ。
考えてみれば、この地球は誰が作ったものでもない。それなのになぜ国境や境界を主張するのか、意味不明だ。
みんな、地球の居候なんじゃないですか。
このように考えることにより、せっかくの新居に次々と物を持ち込んで生活感いっぱいにしちゃう家人に対して(なんとか)平静を保つことができる。