トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

『他動力』『堀江思考』堀江さんの本二冊再読

『他動力』

早く独り立ちしよう

 

俳句のことで、ピンと来た。

もう今年で十年にもなるのに、ぜんぜんダメで、始めたばかりの人から「一緒に頑張りましょう」と言われる始末。

でも、どんどん出来ちゃうし、考えてひねくるの楽しいし、やめられない。

もう焦らず、悠々と(見せかけて)とか思ってたけれど、そうじゃない。

巧拙は才能もあるし、なかなか難しいけれど、句会で点がいっぱい入るとか、そういうことじゃないと考える。講師の先生も含めて、他人の評価に一喜一憂せずに自分がいいと思う句を作ろうと考えた。句会は発表の場として必要だけれど、あくまでも点ではなく、いい句を作ることが目標なんだ。

他人の意見は参考程度にして、自分のために自分の句を作る。そこんとこ。

 

とにかく始める。

 

カンブリア宮殿という番組で、あるパン屋さん(「365日」だったか?)を取り上げていたが、その店主の働き方を見て、人間には人生を楽しんでいる人とそうでない人の2種類があるんだなと思った。

「始める」というのは、就活とか終活とか、何かに所属することとかではなく、人生を楽しむ側になるということ。

もう、誰かに認めてもらうために這いずり回らない。

起業する、個人事業主になる。

 

(最初の)肩書を手に入れるために1万時間を捻出する

 

時間はあるけれど行動力がない私。目の付け所はいつも間違っていないけれど実現させる力のない私。これからは、自分自身をも含めて、どんな相手であろうとひるまず立ち向かおう。

1万時間。1日9時間で3年間だ。

達成時いくつになるか、考えるのはやめよう。人生の残り時間が少ないからこそ、もう、残り時間を考えることは意味がない。歩きながら倒れる感じ、寝落ちする感じで行きたい。

 

自分がワクワクすることならなんでもいい。

    一度手をつけたものは完了させる。

 

リズムが大事。

 

行動力をつけるためには習慣化することが大切だが、習慣化は時間がかかる。少なくとも一つのことを3週間続けないと習慣とはならない。

その点、「リズムよく行動する」はすぐにできそうだ。

そのために「躊躇、熟考はしない」「仕事を半分の時間で終わらせるための工夫をする」「隙間隙間に少しずつ進めておく」「超過密スケジュールでやってみる」などの方法が挙げられている。

なるほどなるほど、という感じ。

私は、だらだらやってしまうのだ。ほんと、人生そのものが、だらだら。

質より量、量よりスピードってこと。

 

永遠の3歳児であれ。

 

思い起こせば、私は10歳を過ぎたとき既に疲れていた気がする。登下校するとき、この毎日を前世でも体験していたような既視感を感じていたのだ。そのくせ子供ぶって、機関車(時代がわかるけど)の運転手さんに手を振ったりして、疲れ切っていた。

その前のところから、やりなおそうかな。

 

家に住まない暮らし

 

自分だけの家を持とう、なんて、せこい考えは捨てよう。必要ないんだ。

家を持つためのお金、それを得るための労働時間、ほんとにもったいない。

 

『堀江思考』

大切なのは、インプットの量に尽きる。

 

俳句も、インプットが絶対的に足りないのではないか。浴びるように読もう。

 

ネガティブな言葉を聞かされたら、すぐさまポジティブで言い返し、自分のオリジナルな武器として生きていく。

 

言葉は、武器になる。借り物ではなく、工夫した手製の武器を持つ。

 

信頼できる情報発信者を見つける。

 

いちいちつまらないことに感心していた私。ほんとにもう、やめよう。

それにつけても、たくさんの情報を浴びることが必要なんだと思う。極端に少なければ、偶然接触した情報に左右されてしまったりするかも。

 

「文章が読めない人の代わりに読んで要約する」という仕事。

これってありだと思う。

以前私が読んでいた本をぱらぱらとめくって見ていた知人が、「あなた、これ、ほんとにわかるの?」と聞いてきて、びっくりしたことがある。

彼女は私がわかりもしない本を見栄で持ち歩いていると思ったみたいだった。「この人、この本を難しいと思ってるんだ」と驚いた。ほんとにわからないみたいだった。「私がわからないのだから、この人もわかるわけない」と。

ほんとに、わからないんだ。

また、『ミレニアム』を貸したら、「わからない」と言って読まずに返した人もいた。

じつは私も、トニ・モリスンの『ビラブド』がよくわからない。誰か説明してくれ、と検索したが、他の人たちもよくわからないらしく、安心した。

だから需要はあると思う。

 

自分の意見を発信する。

 

大量のインプットが前提だと思う。

 

自分の人生を自由に生きようとした場合、嫌われることは仕方がないのだ。

 

しかし、嫌われもするが、嫌う人がいれば必ず好いて来る人もいる。

別の本で読んだのだが、堀江さんが塀の中へ入ったとき(どういう罪かわからず、自分はやっぱり頭が悪いのだと思い知った出来事だったが)、彼の友人であり続けた人たちがいたこと、一緒に働いていた人たちが寄せ書きを贈ったりしたことに心打たれた。

今でも堀江さんを嫌う人は多いだろうと思う。でも、そうでない人たちも多いのだ。

で、もし彼がおとなしく自分を殺して生きたとしても、嫌う人はなくならないし、好き

でいる人もやっぱりいるだろうと思う。同じことなら、自分の好きに生きたほうがいい。

 

未来を恐れず、過去に執着せず、いまを生きる

 

そういうことだよね。