以前読んだ本の再読。
今回、いろいろと参考になった。
P4,5 の「毎日を気分よく楽しく過ごし、おいしいものを食べて、できる限り長い時間を自分の好きなことに使って過ごしたい。」「個々人にとって大切なのは『自分は何をしていたら楽しいか』という自分目線での価値観です」
というあたり、ほんとに共感する。
しかし引っ掛かるのは、P18からの「目標は低く持ちましょう!」とP23の「人生は早めに諦めよう」。
これって、早く言えば、自分に向いたことをなるべく早く見つけて、それを頑張りましょう。自分に向かないことに無駄な時間を使うのはやめましょう、能力に合った目標を持ちましょう、ということなのではないかと思う。
でも、私は「棒ほど願って針ほど叶う」ということもあるのではないかと思う。「世界一」を狙って死力を尽くさなければ2番にも3番にも、10番以内にもなれない。まあいいや、と楽にしていると後ろから数えたほうが早い存在になってしまうのではないか。
私にしたところで、東京の有名大学を目指すなんてとんでもないと自分でも思い、親も地元の大学でいいよと言っていたので、何もせず本ばかり読んでいたところ、地元の大学にも受からなかったものだ。
「過大で過分な夢を持たないこと。他人を妬まず、手持ちのカードのなかで、いかに楽しい生活を手にいれようかと考えること。それこそがラクに生きるための知恵なのです」
まったくその通りだけれど、それって、楽しいか? なんか、ワクワクしない。月に憧れる蛾のように見果てぬ夢を追うことがあってもいいのではないかと思うのだけれど。
私の場合、「書くこと」に夢を持っているのだけれど、それで食べていくには到底才能が無いと思って早いうちにあきらめた。しかし今考えてみると、私の色々な資質の中では「書くこと」が(自分比で)ダントツだったのだから、それをもうちょっと追及しても良かったのではないかという気がする。ベストセラー作家など、とうてい無理にしても、それを使ったなんらかの仕事が出来るくらいまでは行けたかもしれないという気がする。(気のせいかもしれないですが)
また、筆者が例にあげている「階層や階級のある社会」だが、例としてどうなのだろうか。
そういう社会って、「職業選択の自由」がないんだよね。
それと人生の早いうちにあきらめた方が、と言うが、ある程度いろいろやってみないと自分が何に向いているか、何が好きかわからない。
とまあ、前回読んだときはこのあたりで、なんか嫌と思ってしまったのだが、今回はずっと読んでみて、目からうろこの発見があった。やっぱり、ちきりん、すごいね。
ここが違くて、ちきりんさんはプロのブロガーだけど、私はそうじゃない。その違いはとても大きい。
だけど、ちきりんさんが言ってるのは、それでもいいじゃないの、ということだと思う。
「ニート」の項目で、
ニートのもともとの意味は、「仕事も勉強も職業訓練もしていない状態」ということですが、その前提には「仕事と勉強と訓練にしか価値がない」という考えがあります。この考えこそ問題ではないでしょうか。世界の全員がたった3つのことにしか価値を認めないなんて、ちょっと怖いです。
と書かれていた。
言われてみればそうだよねー、と思う。
それで食べていけないからと言って存在意義が無いということでもない。お金を稼いだり、稼ぐことにつながる行動だけが意味があるわけではない。
仕事・家庭・趣味の「3✖3分割図」も良かった。
一時期に「3つとも選ぶ」のは誰にとっても非常に大変で、本人が才能に恵まれることはもちろん、その他にも様々な条件に恵まれないと困難でしょう。つまり人生設計とは、「仕事、家庭、趣味の中から、最大ふたつを選ぶ」という選択であり、反対から見れば「どれかひとつを諦める」という選択なのです。
この記述に救われる。
なるほど! 私は今、家庭と趣味を選択して、仕事を諦めてるという状態で、それはそれでOKなんだ、と思い、すごく楽になった。
また、「一点豪華主義人生」という考え方もいいと思った。
「10個挙げろと言われると、結局みな同じようになるが、1個だと個性が出てくる。
という下り、人間の性を見切っているなと思う。
そして、10個全部を追おうとすると、結局どれも手に入らない気がする。いわゆる「it」は一つなのだ。
私の場合たいせつなのは、「読み、書き、考えるひとりの時間」だ。それさえ手放さなければOKなんだと、一つに絞ればそういうことになる。
そういう風にシンプルに考えると、ほんとに「人生が100倍ラクに」なりそうだ。