トマト丸 北へ!

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幸せ自慢の罪

m子からハガキが来た。

何十年も会っていない年賀状の付き合いだけの間柄だ。

自分がm子にとって、「なついてくるから振り払うことはできないが、特に付き合いたくはないさえない友人」という位置づけだと悟ってから、疎遠になったという経緯がある。

久々の連絡、ああうれしい! という間柄ではない。

内容は相変わらずの上から目線で、要するに「あんたと仲良く付き合う時間がなくてごめんね」「私は余裕のある暮らしぶりで楽しくアクティブなリア充だよ」この2点だ。

愚痴や不幸自慢よりましという考え方もあるが、それならまだ、誰にでもいいから吐き出して楽になりたい、聞いてもらいたいという気持ちであるとすれば、そんなに親しくない相手であったとしても理解できるし、一度くらいならごみ箱になってあげてもいいと諦められる。

(むろん、「不幸自慢の逆幸せアピール」という場合もあるが)

とにかく、親しくもない知り合いの不幸であろうと幸せであろうと、それが特にドラマチックなものでない日常的な範囲なら、どうでもいいのだ。

なぜ、それを送り付けて来るのか。

電話よりましだが、手紙だと、返事を書いて投函する手間のバカらしさと返事をしない非礼への罪悪感の狭間で短時間でも苦しむことになる。と言って、m子にしてみても、おもいつきで書いただけで、深い意味はなく、返事が来ないからといって気にはしないだろう。

「ああそう、良かったね」というしかないのだが。

1回だけならまだしも、このやり取りがこれから何度も繰り返されるかと思うと苦痛だ。

ここまで考えて、ふと思った。

今私は比較的精神状態が安定しているからいいのだが、もし、心が乱れていたり、不幸のどん底にいたりしたら、こういうハガキの文面に傷つくのではないだろうか。

悪気はなくとも、いや、悪気が無いがゆえに罪が深いと言える。

幸せ自慢するような種を持たない私だが、私だって、どんなはずみでこういう傷つけ方をしてしまうかもしれない。

人は、今どんな状況か、わからない。面と向かっていても、わからないことがある。神様じゃないから、意図せずに心無い言葉を発してしまうかもしれない。

許し合うしかないのだろう。

その、許せるかどうかの違いは、自分が相手に対してどういう気持ちで相対しているか、だ。相手に対する好意や敬意、愛情が、基本的に存在していれば許せる。

そんなことを考えた。

 

 

これも浮世の義理と考えて大人の対応をするべきか、スルーしちゃうか、貴重な時を迷いに使わせるm子のハガキだ。