福田恒春 訳
時間ができたので、世界の文学を読み直してみることにした。(いつまで続くかわからないけれど)
まず、セリフが長いのにびっくりした。25字で30行以上もあるセリフがバンバン並んでいる。私には一個のセリフも覚えられそうにない。役者って、すごいな。
ハムレット、有名な作品だが、今までちゃんと読んだことはなかった。セリフもだが、想像以上に長い。上演は7時間以上かかるそうだ。お弁当を食べたり、ワインを飲んだりしながら、歌舞伎を観るみたいにまったりと楽しんでいたんだろうなと想像する。
私の抱いていたハムレットのイメージは、白皙の美青年、深くものを考え煩悶する繊細な青年といったところだった。
読んでみると一貫性がなくハチャメチャな感じ。青年とはいえ落ち着きがなさすぎる。ホレイショーやレーアティーズのほうが感情移入できそう。私がオフィーリアだったら、デンマーク王子であろうとも絶対に好きにはならない。父王の悲劇がなかったとしても、とても安定した結婚生活が送れそうな人物ではない。
王妃ガートルードは、こんな人いるよ、というあるある女。
美人だが中身はなく、気高くもないが、とにかく美しく高貴なので、なぜか男たちに愛されてしまうという。立派な男に愛されてもその愛をどぶに捨ててしまうタイプ。やたらに泣きわめいて周り中を不幸に巻き込んでいくけれど、男たちはそれを許してしまうというタイプ。
殺されて亡霊となった王も彼女の心変わりを一切責めず、ハムレットに「母を悲しませてはならぬ」と言うのだ。
厚切りジェイソンのように「WHY!」と叫びたくなる。
そもそも王の弟が兄殺しという大罪に手を染めたのも王になりたいという野心だけでなくガートルードに対する邪恋があったからだと思う。でなければ、あんなに急いで結婚したりしない。彼女さえいなければ、王が殺されることもなく、ハムレットが苦しむこともなく、オフィーリアの父、兄、ハムレット、王妃、王の弟、家来たち、みんな死なずにすんだのだ。
また、王が殺されても、彼女がいそいそと新王と結ばれたりしなければ、ハムレットももう少し冷静になれたはずだ。夫が普通に死んだとしても、2か月で再婚は早い。
しかし息子に対する愛は本物だった。最後に毒杯を口にしたとき、彼女はそれが毒入りだと察していたのではないだろうか。そのとき新王の心底を悟り、息子を犠牲にしてしまったことに耐えられず自ら毒をあおいだのではないか。
別冊のドナルド・キーンの解説にシェイクスピア作品の優れている点として「真実があふれている」こと、と「一番の業績は恐らく多勢の『個人』を拵えたこと」とが挙げられている。
私のこの入れ込みようが、まさにこの2点を証明していると言えるだろう。
他に「オセロー」「アントニーとクレオパトラ」「リチャード三世」「夏の夜の夢」が収められていた。
リチャード三世
グロスターの悪漢ぶりに惹かれ、ぐんぐん読んでしまった。
自分が殺した男の妻であるアンが泣きながら棺の傍を歩いているその時にアンを口説いてその気にさせてしまう場面が、ほんとに悪い。
アンといいエリザベスといい、大げさに泣き叫んでグロスターを罵っていても、いつの間にか言いくるめられてしまう。そして彼に見下げられる。アンは結局捨てられ、殺されてしまうのだ。
グロスターの手先となって次々と邪魔者を消す走狗となった者たちは、またすぐに自分がやられる立場になる。ドミノのように次々と倒れていく。自分だけは大丈夫だと思い、不幸な犠牲者たちを見下していても、すぐに自分が同じ立場になる。
栄誉や金はいらんな、とつくずくと思う。
これは歴史物でグロスターが悪者の勧善懲悪になっているが、世の中にこれに類すること、多いのではないか。栄達がなくとも楽しくまっとうに生きた方がましだと思う。
アンたち被害者の女たちも、実は弱いなりに自分の利害で動いているのだ。人間の弱さだと思った。