トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

愛が足りない

離れて暮らす96歳になった母に誕生日のお祝い電報を送った。ぬいぐるみ電報。

母からは何も言ってこない。通販で頼んだので着いたかどうか気になって、姉に聞いてみた。「届いたかな。おかあさん、何か言ってなかった?」

すると、「何かぬいぐるみみたいなのが来たけどまだ開けてない。箱が邪魔になって困ると言ってる」という返事。

母は気が沈んで暗くなりがちな性格であり、足腰が弱って外出もままならない不本意な状態だから、虫の居所によってはそういうこともあるだろうと思った。手紙もそのうち読んでくれるだろうと。

「届いたならいいよ。お礼の電話とか要らないから、無理強いしたりしないでね」

ところが翌日姉から電話。「おかあさんと代わるから」

母は「ぬいぐるみをありがとう」とだけ言って、電話口で姉に「これでいい?」私には、「おかあさん今日は具合が悪いから、もうこれくらいで勘弁してちょうだい」と言うのだ。

電話を切ると姉がまた電話を寄越して、「おかあさんからお礼を言っておいてくれと言われたけれど、直接話したほうがいいと思ったの。傷つけてごめんなさい」

傷つけるためにやっているんじゃないの? 口には出さないが、そう思ってしまった。

いい気はしなかった。

こういう人たちなのだ。世界中にペコペコしているくせに私にだけは爪を立ててくる姉。機嫌のいいときはいいが、不機嫌になるとブリザードを吹かせまくる母。

もし私を傷つけたことでささやかな満足を味わっているのだとすれば、悪意の放出で小さな快感を味わっているのだとしたら、なんと惨めな人生なのだろう。

私以外に寄り付く人もなく、私以外安心して本音をぶつけられる相手もいない。淋しいくせに爪を立ててくるのだ。私を輪の外へはじき出しておいて、自分だけが犠牲になって苦労していると私を責める。

母と姉の寂しい二人暮らしで、自ら望んだこととは言え老々介護だから大変なことも多いだろうし、離れて暮らしている私は暢気だと思われても仕方がない。

愛を求めているのに、得られない苦しさから少数の親しい人に飢餓感をぶつけてしまい、さらに一人、また一人とまわりから人が去っていく二人。私ももう寄り付きたくない気持ちになった。もともとあまり仲の良くない家族なのだ。

うちの家はこういう家庭だったなと久しぶりに思い出した。

母と姉の心無い言葉で私が傷つき、へこんだ私が転んで他の人を傷つける。その人がまた・・・とどんどん悪意が伝わり広がる可能性もある。自分の中に生まれた暗さに負けてしまうと、そういうことになる。

何の意味もないのに憎しみをぶつけたりマウンティングしたり、いじめたりする人って、その人もまた同じ体験をして発散しているだけなのかも知れない。

この負の連鎖、たぶん似たことが世界中の色んな場所で起こっていると思う。犯罪や騒乱や戦争の種って、案外こんなことかも知れない。

世界は愛が足りてない。

私はバカだし非力だけれど、どちらかと言えば愛を満たす側に回りたい。自分らしくしていたいし、楽しい気分で生きていきたいからだ。

2人の態度がどうのこうのと言ってる場合じゃない。私にとっては、自分がどういうスタンスでいるかだけが大切なのだと思う。