「幸福の公式」というのがあるそうだ。それは、
H=C+S+V
Hが幸福、Cは出来事、Sは規定値で物事のとらえ方や考え方、Vは自発的活動で自分が選んだという感覚を持って生きているかどうか。
Cの出来事が幸福感に与える影響は10%、Sが40%、Vが最も大きくて50%だそうだ。
すごく嬉しい出来事があったとしても、喜びはそんなに続かない。同じような出来事でも人によって受け取り方が全然違うし、それによって生まれた感情も長続きはしない。
また、振りかかってくる出来事を自分で選ぶことはできない。
「出来事」に左右されている限り、安定した幸福感は得られないのだ。
「ものの見方、考え方」は長年身についたものであり、なかなか変えることは難しい。ポジティブで行こう、と思っても三日で元のネガティブな考え方に戻ってしまったりするかも。
出来るのは、「自発的な活動を増やすこと」だと著者は言う。
「自発的な活動」とは、自分で選び取ってこれをやろうと決めてすることのことだ。饅頭が好きだから腹いっぱい食べようというのは食欲に駆られて行動しているだけで、自発的な活動とは言えない。
自分で決めたとしても思いつきであれば意志の弱い人間はすぐに挫折してしまいがちだ。すると自分はだめだと思い、幸福度アップにはつながらない。
だから、「習慣によって成り立つ自発的な活動が幸福度を左右する」と著者は言う。継続する時間が必要なのだ。
この本には啓発された。
①人の生きる意欲を阻害するのは「学習性無力感」であるということ。
「学習性無力感」というのは、早く言えば自分は何をやってもだめだと思う気持ちだ。
物事がうまくいかないことが続くと、もう自分など努力しても無駄だ、という気持ちになってしまう。はっきりと「自分はだめだ」とは思っていなくても、何かにトライすることが難しくなったり、しなければいけないことに取り掛かることができず先延ばしにしてしまったりする。苛めなど人格を否定されるような経験も、無力感を起こさせてしまう。ほんとに酷いことだ。自分はだめだと思っていると努力をしなくなるからさらに物事がうまく行かなくなり、重ねてこれを味わい、ついには無力感が性格の一部になってしまいさえするのだと思う。
私が無気力だったり、際限なくソリティアを続けてしまったり、しなければならならないと分かっていることに取り掛かれなかったり、他人に言い返すことができず言葉を飲み込みがちだったりするのは、このせいかもしれない。人生のある時期で気力を挫かれてしまった気がする。それからは破れた鞴を必死で吹いてるような人生だった。いくら吹いても皮袋に穴が開いてる。
この無力感を少しずつでもなくしていって、意欲と勇気を取り戻すことがだいじだと感じた。「学習性無力感」という言葉を知ったことは自分を理解するのに役立った。
この本で説かれているのは、自分で選択した習慣を身に着ける過程において、これを抱いてしまうとうまくいかないということだ。
②複数の習慣を同時に身に着けようとするのは、無謀な行為であるということ。
なぜなら、ひとつでもできないと①の「学習性無力感」に陥ってしまうからだ。
これもほんとによく分かる。私は目標を立てるのが好きだ。「目標達成型」の人間になりたかった。
ノートを広げてやりたいことやなりたい自分を書き始めると、止まらなくなる。文章を上手に書きたい、英語も英検1級ほしい。書道も好きだし、マラソンも走りたい。それには1日を上手に使わなければ。ということでぎっしり詰まった日程表を作成し、3日で挫折するという。
③習慣化する行動は1か月にひとつに限る。
そういうことだ。
④習慣として定着させたい行動のハードルを下げる。「例外ルール」で「全くできなかった日」を減らす。
この③、④はとてもいいアドバイスだった。
③、④で、「今日はだめだった」日をなくすことができる。
まず1か月一つに絞ることで実現の可能性が高まる。これ一つと思えば、なんとかなるものだ。そして達成感を得ることができる。翌日へのモチベーションが高まる。
あまり高い目標を掲げないことも大事だ。十キロのランニングは難しいが、一万歩歩くなら、手が届く。調子のいい日は少し走ってもいい、となれば、より「できた感」が得られるというもの。
1万歩を目標にしていたとしても、外へ出て一歩でも歩ければ一応目標達成とする。そうすればその日も「達成できた」となる。これで「学習性無力感」を回避できるのだ。「9999歩だからだめだった」と自分を責めても何の役にも立たない。
⑤続けることで「自己効力感」を高める。
「学習性無力感」へ陥ることから、少しずつ脱却できそうだ。自分は出来てる、と思うと、著者が言うとおり、幸福感が湧いてくる。
過去の嫌なことを思い出して無気力になってしまう日も、「この一つだけやっとこう」と思えば出来たりするし、出来れば元気も湧いてくる。誰にも頼らない、影響されない、自分だけの幸福感だ。
この①~⑤に感銘を受けて、実際にひと月に一つずつ習慣化を試みて、今3つ目だ。
Ⅰ 放・充・未日記
これは優れもので、P100~書かれている。
放は、昨日起こった嫌なこと。充は嬉しかったこと。未は今日出来たらいいなと思うこと。(ちなみに、朝一で書くのがおすすめだそうだ。)
ポイントは「感情」を書くこと。例えば「ソフトクリームを落っことした!」だけでなく、「がっかりした。悲しかった」とその時の気持をスルーせずにしっかり書いておく。
「気持ちをスルーすることは心の中にゴミを溜めていくようなもの」と著者は言っている。 ほんとにこの言葉に救われた。私はずっと、自分の気持に蓋をして生きてきたからだ。腹が立っても、こんなことで腹を立てるなんて小さすぎるよと自分に言う。悲しくても、こんなことよくあることだよ、と自分をいなしてしまう。人に訴えたり抗議したりする以前に自分で自分の感情に蓋をして押さえつけてきた。無くなるわけもない感情はメタンガスのように心の底でボコボコ言ってたのだ。
感情を書く、気持ちを表現するだけで、ずっと楽になると実感した。
もう一つのポイントは未来日記も完了形で書くこと。「手紙の返事を書く」ではなく、「手紙の返事を書いた」と済んだこととして書く。そしてもちろん、「すっきりした」など、その行為によって得られるであろう感情を書き添える。
未来日記は「やることリスト」に似ているが、ぜんぜん違う。
「やることリスト」はプレッシャーだ。できたことをどんどん消していく快感はあるが、出来ないことが溜まると例の「学習性無力感」が沸き起こる。私のような自己評価が低い人間は、すぐに「私ってだめコース」へ向かってしまうのだ。
未来日記はその点ソフトで、著者が言うとおり、「出来たらいいね」というやさしい感じだ。プレッシャーが低い分、取り掛かるハードルも低くなる実感がある。できなかったとしても、あまり気にならない。
私は未来日記に書くことは3つまでにしている。これもハードルを下げるため。5つだとたいてい一つくらいは積み残して翌日になってしまう。そして未来日記形式であろうとやはり少しは気分が悪い。3つだと、なんとかやり遂げられるし、その3つを終え余勢をかって4つ5つと進めることも多いのだ。
Ⅱ 朝ウォーキング
1万歩が目標だが、最低百歩でも「出来た」とすることにしている。途切れないこ
とが大事だから。気楽にやっていれば、1万歩くらいなら歩けてしまう。
Ⅲ 今3つ目、つまり三カ月目で、「ブログ毎日更新」をやっている。毎日アップ、そ
して下書きを一つ以上。
これも、なんとかなりつつある。
ほとんど誰も読んでいないのに書き続ける意味があるかわからないが、数人でも読んでくれる人がいると思うと出来るだけ面白いいい文章にしたいと意欲が湧くし、「出
来てる」ことが私にはだいじ。文章も少しはうまくなるはずと思っている。
Ⅲに取り組んでいる今もⅠ、Ⅱも続けているが、ほんとに習慣になるとラクだ。ひと月続けられたことは一応継続で、ひと月ごとに内容を見て変更したりグレードアップしたり中止したりするつもりだ。
たったこれだけ? と思われるかも知れないが、私にすれば「決めたこと」を継続できるという新しい体験だ。
今後は著者が挙げている「7つの習慣」の中で「一日5分の片付け」「瞑想」をやってみようと思っている。
細かいところまで行き届き、読者にプレッシャーではなく勇気を与える本。手に取って、買って良かった。