トマト丸 北へ!

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NHK「ここは今から倫理です」最終回

「ここは今から倫理です」 NHK 土曜夜

                原作 雨瀬シオリ『ここは今から倫理です』

                脚本 高羽彩

 

毎週観ていたドラマの一つ。このドラマを観ていて哲学が面白くなり、今『マンガみたいにすらすら読める哲学入門』という本を読んでいるくらい。

最終回は、仲良しのノリのいいクラスでクラス全員が入っているチャットから一人の女子生徒が抜け、そのために虐められるという問題が起こった。暴力とか暴言とまではいかないが、無視され、陰口を利かれるようになってしまったのだ。

逢沢いち子は高柳の倫理のクラスの生徒の一人で、もともとはおさせのマイルドヤンキーっぽい女の子だったが、高柳の影響で勉強に興味を持ち始めていた。(高柳を好きという要素もある)

クラスは文化祭に向けて盛り上がり、チャットもうるさいくらい回ってくる。大学進学を考えているいち子はそれが煩わしく、時間がもったいないと考えてクラスのチャットを抜けたのだ。

高柳はこの問題を倫理のクラスで話し合うことにした。高柳の最後の授業だ。

生徒たちは、この問題を話し合う必要あるのか?と思ったりもするが、「いち子はクラスチャットに戻った方がいいのかどうか」という問題についてまじめに話し合う。

生徒たちがそれぞれ自分で考え、自分の言葉で話していたのがとても良かった。苛めにあっている彼女を上から見たりせず、アドバイスや具体的な手助けを提案するのでもなく、ただ彼女の存在に向き合って考えたのだ。高柳は、一年かけてこういう場を作り上げていたのだと思う。

彼は生徒たちの意見の交換に対して「すばらしいと思いました」と言うが、自分の意見は述べず、いち子の考えを尋ねる。

いち子の出した結論は、このままほおっておく、謝ったりチャットに入ったりしないというものだった。「だって友達ならここにいるもの」といち子は言う。一人の人間として自分を尊重し、全存在を賭けた意見を出し合ってくれた倫理のクラスの生徒たちに友情を感じたのだと思う。

クラスメイト達とつるむことより自分の勉強する時間を選んだいち子をすてきだと思った。

話し合いで出た意見の中に「そんなクラスは元々いいクラスじゃなかったんだよ」という意見があり、そうかも知れないと思う。

仲間から外れることが怖いだけで必死でクラスメイトの絆にしがみついている子もいたのではないか。そもそも自分たちの思い通りにならないからハブったり悪口を言ったりするのはいい人間関係とは言えない。

集団が緊密になればなるほど、異分子を排除しようとする働きが起こる怖さを思う。

他人に流され、いいように自分の時間を提供したとしても、他人は報いてくれない。流された時間は戻ってこない。

違和感を感じているなら、そういう自分をスルーせず、ほんとうに大事だと思うことに時間を使うことが大事だ。

いち子は偉いな。私も、高校生のときにこのことに気づいていたら、もう少しましな人間になれていたかもしれない。

人はみな、幸せになろうとして生きている。しかし何が自分にとっての幸せなのかわかっていないのではないだろうか。

卑近な例になるが、お腹がすいて腹いっぱい食べて、苦しいけどもっと食べてしまう。これって、自分を満たすために食べているのではあるが、結果食べ過ぎて苦しくなるし、太って動きも悪くなってしまう。満腹するまで食べることは自分の幸せにはつながらないのだが、その場ではそれが自分の幸せだと思ってしまうのだ。ほんとうの幸せは腹八分だと、分からなくなっている。

同様に生きていく上で何が自分にとって幸せなのか、自分はどうしたら幸せなのか、自分は何がしたいのか、これを知っている人は少ないと思う。

哲学はそれを学ぶ学問かも、と思った。