トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

『心にエンジンがかかる50の小さな習慣』を読んで、「いちばん楽しむ人になろう」と思った。

 

 「まえがき」が良かった。

アメリカから億万長者が出るのは、アメリカがアイデアの国だからではありません。思いついたことは紙に書く。模型にする。人に言う。発想をすべて実行に移しているからです。 

「アイデアの盗用」なんて無いのだ。誰も思いついていないアイデアなどほとんど存在しない。実行に移す人が少ないのだ。 

イデアを実行するにはエネルギーが必要だ。それについても、いいことが書かれていた。

元気は手に入れるものではありません。それが出ていくのをおさえないことです。 

「悩んで立ち止まっていると波動は弱まる」ともある。

言い訳のようだが、私は「立ち止まる」ことをよしとされて育ってきた。親はとにかく私が行動することが怖かったらしい。幼い子供と横断歩道を渡る気分で、ずっといたのだ。ぎゅっと手を握って、絶対に駆け出したりしないように言い聞かせて。

もう親は何も言わないのに、自分で自分に「動くな」「許容範囲を越えたことをするな」と呪をかけ続け、虐められ体質なこともあって、エネルギーがめっちゃ減っているのだ。破れた鞴のように、どんなにがんばってもスカスカと空気が漏れ、力を溜めることができない。

だからもう、抑え込まないようにしようと思う。考える前にやる、というくらいで私はちょうどいい。熟考したところで、失敗するときは失敗するのだ。経験の極端に少ない人生を送ってきたので、成功体験も少ない。だからこそ、いろいろやってみるべきだし、実現したいことがまだたくさんあるから。

このブログも、書きたいことはみんな書こうと思う。ブログに書くことは、小さなことだが、私にとっては意味のあることだから。

もう一つ心に残ったことは、

社内で一番仕事を楽しんでいる社員になろう。 

先日、以前所属していた趣味のグループの人が用事で電話をかけてきた。相変わらずそつの無い電話ぶりだが、私は複雑な気持ちだった。例によってこの人も私にあまり親切でなかった、というより、自分の権力を守るために私を邪魔にしたのだ。私がそのグループを離れると言った時、一言も引き止めなかった。というか、満面の笑みをたたえていたっけ。

電話の言葉のはしばしから相変わらず元気そうで、そのグループの中心で、人気もあり、生き生きと活動していることが察せられた。

電話を受けてちょっとへこんだ。その直前までハイだった朝の気分がシューッとしぼむ。「ダイエットがもっと順調でやせることに成功していたら、本が出せていたら、仕事が順調だったら、もっと堂々と応対できたかもしれないけれど、だめなままの私だ」「その人に、私は何もかもかなわない。人気者になりたいとか、リーダー風を吹かしたいわけではない。でも、その趣味の領域での技量で負けているのが悔しい。」と、自分を幸せにしないネガティブな思考がその上から目線の伝達をきっかけに湧き出てきた。

中谷さんの文章のこの「社内」というのは「人生」「世の中」「ご近所」などと言い換えてもいいと思う。「その趣味の会」とも。目からうろこだ。権力や人気や技量を競っても自分が辛くなるだけだ。楽しくない。一人の人に勝ったとしても、必ずもっとすごい人が現れる。たとえその会でいちばんになれたとしても、外ではそうもいかないだろう。努力しても及ばない領域が世の中にはある。でも、「楽しむ」ことはできる。苦しい努力ではなく、自分が楽しいやり方をすればいいのだ。そうすれば、他人を気にすることもない。自分が心から楽しんでいるなら、傷つくこともなくなるだろう。いちばんタフな人間はいちばん楽しんでいる人間かも。

「いちばん楽しんでいる人になろう」この考え方、いいと思った。『珈琲いかがでしょう』のたこさんの「小粋でポップ」な生き方って、こういうことかも。

「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」って、論語にもあることを思い出した。