トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

すぐに相手をバカだなと思ってしまうのは良くないと自省した話

回転寿司屋さんでタブレットを使って注文していたら、それを店員が見ていて、「そのやり方では注文できない」と「親切に」注意してくれた。

私はその店を何度も利用しており、助言は必要なかった。何を注文するかを悩んでいるのであって、タブレットの使い方に苦慮している訳ではなかった。たぶん、バアサンが困っていると思って口を出してきたのだと思う。「いや大丈夫です」と言っても「強がってるバアサン扱い」に変わっただけで、上から目線で命令してくる。板前も注文の内容を繰り返し確認してくる。その全体が「タブレットを使えないバアサンを馬鹿にする」ニュアンスを含んだ態度だった。声が大きいので、少し離れた席の人まで笑いを含んでこちらを見ているという。「老いハラ」って、こういうことなんだなと思い知る。

思い出しても腹立たしい。「食べ物屋で口論しない」(どんな仕返しをされるか分からないから)というモットーがあるのでおとなしく寿司を食べて帰ったのだが、不愉快だった。もう二度とあの店には行かないぞ。

しかし気づいたことがある。

人はイヂワルされるよりバカにされる方が辛いのだ。親切にされてもその底にさげすむ気持ちがあったら、かえって腹立つものなのだ。自尊心を傷つけられると、弱い人は恨みに思い、強い人間は倍返ししてくる。

これで思い出すのはΚ子と一緒に旧街道を歩いて旅したときのことだ。始めはK子の言うとおりに歩いていたのだが、あまりにも道を間違えるのでだんだん口を出すようになった。殊に日暮れが近づいてきて寂しい道だったりすると「正解」を口にせずにはいられない。気の強いK子は反論する。言い合いになる。結果私が正しかったと判明する。この繰り返しにより、すっかり仲が悪くなってしまった。もともと性格の良い人ではなかったのか、居ないところで私の悪口を盛大に言い、仲間外れにするようになった。登山経験豊富な彼女に山に連れて行ってもらったりしていたのだが、私だけ誘われないようになってしまった。私としては無事に旅できるようがんばったつもりだったが、K子にとっては腹立たしいだけだったのだ。

老いハラ経験のおかげで、霧が晴れるようにその時の事情が明確になった。地図が読めないK子を、私は内心バカにしていたのではないだろうか。オブラートで包んだり、やわらかく言う技術もなかった。それよりも、完全的に私は偉そーで、正しさを前面に出して主張し、言い負かしていたのだ。で、倍返しされて痛い目に遭った。

人生でこのような目に、何度もあって来たような気がする。

思い起こせば高校の修学旅行のとき、ふらりと入ったラーメン屋さんで、突然「あんたはその口の利き方をなんとかしないと、そのうちひどい目に遭うよ」と言われたことがある。突然、だと自分では思っているが、たぶんその前段で何か生意気なことを言ったのだろう。

まだある。

知人とその知り合いの熟年男性と三人で話していて私がその場を去ろうとしたとき、その男が聞こえよがしに「おーい、この女誰か相手にしてやれよ!」と叫んだことがあった。まったく理不尽で失礼なのだが、その前段もある。彼が「お店を広げる」というか、しょぼい自慢話を繰り広げていたので、「バカだな」と思ってしまいそれが顔に出ていたのだと思う。ある程度言葉に出してしまったかも分からない。彼の叫びは傷ついた自尊心を回復するための叫びだったのだ。

似たようなこと、まだまだある。いろいろ思い起こすと、私の人間関係の困難の原因の幾分かは、この「内心他人を見下し」「自分の正しさを主張して相手を言い負かす」という性癖にあるに違いないと思われる。他人に対するスタンスが、あの回転すし屋の店員と似ているかも。

最近、松浦弥太郎著『伝わる力』を読んで心打たれたことがある。この本はイモトアヤコさん推薦の本で、とてもいい。(イモトアヤコさんの推薦は確かだ。彼女は才能や魅力にあふれたタレントであるだけではなく、本を読む人だ。)

その141ページに「先生を見つける」という項目がある。著者は幼いころから自分より数段優れている人を好きになる性癖があり、「いつも自分より優れている人を探していて、見つけると、すぐに興味を持って、好きになって、その人の傍から離れな」かったそうだ。しかし、大人になると、「一見普通に見えても、どんな人でも、自分よりも優れている、おもしろい才能が必ずある」ことに気づいたと言う。「何に一所懸命で、何が得意だったかというと、その人のいいところや、すごいところ、自分よりも優れている才能を見つけることだ」と書かれているのを読んで、諄々と諭されている気持ちになった。

ちょっとしたことで人を見切った気になり、自分より下に見るなどほんとに愚かな行為だ。自分はほんとに幼い奴だと思う。他人を「普通の人」と「偉い人」に分類して、劣等感を抱いたり、優越感を感じたり、下品だったなと思うのだ。それだけでなく、他人の自尊心を傷つけ、敵を作る行為でもある。

これからは同じ人間として、その人の優れている点に目を向ける対し方をしようと思った。「自分以外の人は皆、自分に何かを教えてくれる先生である」という松浦氏の大人のスタンスを真似て行きたい。それは自分を守ることにもつながるのかも知れない。

このことに気づいて良かった。今から直せるかわからないが、がんばってみたい。