トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

『昨日がなければ明日もない』(宮部みゆき著)の帯に怒る

 

 杉村探偵事務所が取り扱った3つの事件の事件簿。

これは一風変わった探偵小説で、探偵は事件を解決しない。かかわっていくけれど謎解きと言うより「解説」みたいだし、よろず相談所のおじさんのように穏便な結末を導きだそうとするだけだ。必ずしも依頼者の利益を図るわけでもない。これって?

これが世の中の現実かも、とも思う。どんなに同情したり正義感に心を震わせても、他人の事件への介入には限度があるし、『水戸黄門』『暴れん坊将軍』みたいなスッキリした結末はあり得ない。何をやっても後味の悪さが残る。私たちはせいぜい「善意の傍観者」であることしかできないのかもしれない。でも、それは無意味なことではない。助けてもらえなくても、知ってもらう、見て居てもらうことが人を救い勇気づけるのではないか。

第一話「絶対零度」。依頼人筥崎夫人の描写や会話から少しずつ違和感が広がっていき、犯人たちの悪意があらわになり、それが最後に無残な人格の破壊へとつながっていく、見事な展開だ。探偵杉村の普通感、彼の持つ善良さやコモンセンスが、筥崎夫人たちの異常さを浮き彫りにしていく。ごく普通の隣人だと思っていた人物が、「ちょっと変だな」「変だな」と思ってるうちに実はサイコパスだったと判明するというような。

行方不明になった専業主婦佐々優美は夫やその先輩により人格を破壊されていったのだが、その崩壊は実は彼女と母親の二人三脚の人生に端を発していた。美人で頭が良く努力家でもあるが、彼女は普通の人間だ。それが「お姫様」として育てられ、お姫様の人生を歩もうとしたところに無理があった。『小公女』のセイラのように「精神がプリンセス」なら良かったが、外面だけの虚飾のプリンセスであろうとしただけだったのだ。しかもそれすら達成できないスペックの低さ。ほんとうに哀れだ。

優美のように犯罪に手を染めるところまでいかなくても、こういう人、いるなと思う。容姿、経済力、教育、すべてに水準以上であっても中身がスカスカなので幸福感はない。心の空虚を満たそうとして他人を虐げたり見下げたりSNSで自慢したりする。または狂気の世界に逃げ込んだり、する。「普通」「ありのままの自分」であることに耐えられない人が、世の中にはいるのだ。

宮部みゆきの本は最近の私の鉄板で、この本もくっと引き込まれて読んだ。

でも、この本の「帯」。これはないなと思う。「探偵VS“ちょっと困った”女たち」って? 「ちょっと困った」に「”」を付けても違和感はなくならない。どんな意味でも「ちょっと」じゃないじゃん。一見「ちょっと」でもほんとは「ちょっとじゃない」というレベルでもない。

優美が警察に「参考人として事情聴取」されてるけれど、彼女はれっきとした犯罪者だ。集団暴行の片棒を積極的にかついでいる。世間に糾弾されるとしても、それだけでは済まないと思う。判断力を失うくらい洗脳されていたとしても責任能力はある。母親も「ちょっと困って」いたわけではないのでは。

3つのストーリーはどれも読後感があまり良くない。それがこの作品の値打ちだと思うが、「帯」が許せない。