監督 スティーブン・フリアーズ
アブドゥル アリ・ファザル
モハメド アディール・アクタル
身分や出自を越えた友情が描かれている。
女王の孤独が胸に迫る。最愛の夫を失い、周囲には欲深くおべっかを使う人々しかいないヴィクトリア女王。「孤独で、ろくに歩けもしない。子供たちは欲深く、周囲の人間は自分の権益のことしか考えていない。誰も信用できない。生きていて何になるの?」高貴で豊かで権力を持っていても周囲に善良な人々が居なければ、気持ちは囚人と同じようなものだ。
アブドゥルは女王の50周年の式典に記念硬貨を贈呈するためにもう一人の贈呈役モハメドと共にインドからイギリスへと赴く。彼はインドを統治するイギリスに反感を抱くモハメドとは違い、この冒険にワクワクしていた。
私の感覚からするとインドを植民地にしてしまったイギリスとインドを「統治」するヴィクトリア女王に反感を持つモハメドの方に共感するけれども、アブドゥルは違うのだ。そこのところが若干疑念を抱かせるところではあるのだが、彼のスタンスは「どうしようもないことは悩まない」「人生は冒険だ。楽しもう」ということだと思う。それと、カースト制度の酷いインドでは階級が上の者に従うのは当然のことなのかも知れない。モハメドの方がむしろ目覚める少数派なのかもしれない。とにかく、この映画ではそのあたりはほとんど問題にされていない。
アブドゥルの無邪気と言って良い生き方、しかつめらしいイギリス宮廷の慣習を無視した言動に女王は共感し、救いを見出した。アブドゥルからイスラムの言葉を教えてもらう女王の楽しそうなようすには心打たれる。彼女の少女のままの魂は眠っていただけで、死んではいなかったから、アブドゥルのおかげで息を吹き返したのだ。
これはアブドゥルの冒険と女王の再生の物語だ。
月並みな人間ばかりがそろった宮廷では、当然ながら女王のアブドゥルへの傾倒はやっかみ嫉みを生むものでしかない。首相、主治医、女官たちに至るまでアブドゥルを警戒し、女王を内心非難するようになる。彼らは女王にアブドゥルについて讒言する。これは彼らの立場からすれば当然で、てぬるいとも言える。メリー・ステュアートやエリザベスなら簡単にアブドゥルを暗殺していただろう。
女王はアブドゥルの立場を守るために爵位を与えようとするが大反対を呼び起こすことになってしまう。女王に仕える者たちは全員辞職すると言い、主治医は強行するなら女王は狂人だという診断書を書くと言って脅す。(この主治医が私は嫌。医者として患者の健康ではなく自分の利害の方を重く見るなんて、最低ですよ。)
このときの女王が立派だった。堂々と自ら侍従たちに立ち向かい自分の考えを述べるのだ。その威に打たれた侍従たちは、「辞める人は前に出なさい」と言われて立ちすくむ。
自分の亡き後のアブドゥルの立場の危うさを思いインドへ帰るように言う女王だったが、アブドゥルは女王のためにイギリスにとどまっていた。しかし女王はついに倒れ、アブドゥルは帰国する。
ジュディ・デンチが素敵。女王の威厳、わがまま、孤独と老いの苦しみ。それにも関わらず少女のような自由な魂を失っていないこと、繊細な心遣いが出来ること。すべてを描き切っている。人間が幸せに生きるためには何が必要なのかを、彼女は教えてくれる。
女王の好意でイギリスに迎えられたアブドゥルの妻も可愛かった。無邪気で堂々としているのがすごくチャーミングだ。
で、私がいちばん気に入ったのは始め記念硬貨の贈呈役としてアブドゥルの同僚だったモハメド。アブドゥルのようにハンサムではないし、背も低い。イギリスへ来たこと、アブドゥルが女王の寵遇を得たために帰国できなくなったことを嘆き、慣れないイギリスの気候に病み、同僚だったアブドゥルの召使待遇にまでなってしまうモハメド。
しかし彼はきちんと自分の目で物事を見ているし、けっして誇りを失わない。アブドゥルを陥れようとする者たちがその片棒を担がせようとして見返りを提示しても、毅然として利用されることを拒否するのだ。そして結局故郷に戻ることなく、イギリスで死去する。痛ましいが、敬意を抱かせる男だ。あるいは彼は創作された人物かも知れないが、りっぱな人生、人物だと思う。