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『ノマド』 家を捨てて路上に出るという究極の選択を描く素晴らしいドキュメンタリー

 

 アカデミー賞を受賞した「ノマドランド」の原作。心を揺さぶられた三つのポイント。

①合衆国における「ノマド」という存在に驚いた。

USAでは、「かつての中流階級が不可能な選択を迫られた結果、ふつうの暮らしに背を向けて立ち去りつつある」。食べ物と歯の治療、住宅ローンの支払いと電気代の支払い、家賃の支払いと学生ローンの返済。何を選択し、何を放棄するのか。どれも外せることではない。彼らが出した結論は、一番大きな出費を削ること。彼らは「車上住宅」に移り住んだ現代のノマド(放浪者)だ。

彼らは「ホームレス」ではなく「ハウスレス」だと自称している。なぜなら避難所と移動手段=車を持っているからだ。しかし、遠目にはキャンピングカーを愛好する気楽なリタイア組に見えるかれらの生活は過酷なものだ。

ものの見方も見た目も中流階級であるかれらは、リーマンショック後に貯蓄をすべて失い路上に出た人が多い。かれらは生活の糧を得るためにワーキャンパー(短期の雇用を求めてアメリカ中を車で移動する季節労働者)となった。年齢等の理由で正規の雇用を得ることが難しいからだ。

この本の中ではキャンプ場の管理人の仕事、アマゾン倉庫のキャンパーフォース(季節労働者を雇い入れるためにアマゾンが作ったプログラム)、ビーツの収穫の仕事などが描かれている。いずれも過酷で、事故と隣り合わせであり、使い捨てでもある。企業は収益を上げるために使い捨てに出来る従業員を求めているのだ。忍耐強く、まじめで、生きるための最低限のお金を必要としている高齢者を。

十分な資金のない車上生活は楽ではない。都会では安全にただで車を停められる場所は少ない。彼らは駐車場の管理者や警官や危険な人物の「ノック」の音を恐れ、なるべく目立たないように生活する必要がある。車種は多岐にわたり、多くはポンコツ寸前だ。

高齢者がリタイアできないという現実に驚かされた。「社会の常識にきちんと従って、中流階級にふさわしく正直に生きても、安定した生活を送れる保障はないのだ。」

そして彼らが自分たちの生き方にポジティブな自己評価を持ち、誇りを持って生きようとしていることに驚嘆した。

②原作と邦訳の副題の違い

邦訳は『ノマドー漂流する高齢労働者たち』となっている。原作は『NOMADLANDーSurrving America in the Twenty First Century』となっている。「21世紀のアメリカを生き抜く」というような意味ではないか。

「漂流」には自分の意思が働かない。漂流者は、自分では行先や速さや方向を決めることができない受け身の存在だ。

ノマドに対するスタンスの違いがあるような気がする。著者のジェシカ・ブルーダーは、両方の視点を持っている。ノマドは車上生活を余儀なくされているという成り立ちもあるが、自分でその人生を選び取ったというポジティブな精神も持っているのだ。けっして好んでノマドとなったわけではないとしても、「彼らはーー生き延びるだけでは満足できなかった。」「最初は生き延びるための必死の努力だったことが、いまや、より大きな価値を標榜するスローガンとなっている」のだ。

ノマドの精神的指導者ともいうべきボブ・ウェルズは「より少ない所有物で幸福に暮らそう」「生まれ変わって自由と冒険の人生を生き直せるんだ」と述べている。

年に一度、ノマドたちはアリゾナ州の砂漠の町クォーツサイトに集まりラバートランプ集会が開かれる。ノマドたちの交流と情報交換、初心者の学びの場でもある。そこに集まる人々は、自分は打ちひしがれた貧しい人間ではなく、生活に新しい価値を創造するパイオニアだとみなすのだ。

筆者が取材した一人、リンダ・メイは「生き延びる」だけではなく希望と目標を見つけたひとりだ。

スクイーズ・イン」と名付けた小型トレーラーをけん引して車上生活をしている。夏季限定のキャンプ場スタッフとして、アマゾンのワーキャンパーとして働く。求人広告とは違う汚れ仕事。しかしリンダは快活さを失わず、仕事に誇りを持っている。

娘夫婦と孫3人が済む二間のアパートに同居せざるを得なかったリンダの居場所は玄関に置かれたソファーの上だった。彼女はソファーの孤島を捨て、スクイーズ・インの女主人になるという選択をしたのだ。

彼女は夢を持っている。どこかに土地を買い、アースシップ(自給自足と生態系との調和を可能とする廃材を利用して作る家」を作って住むという夢だ。

筆者が描いているノマドたちは人間としての魅力にあふれ、勇気と愛を失っていない。

③ジャーナリストのすばらしい仕事

ジェシカ・ブルーダーはすばらしい作家だと思う。卓越した比喩、正確で生き生きとした描写。(殊に「まえがき」は全文引用したいくらいだ。)そしてなにより描く対象に冷静さと情熱、客観視と共感の絶妙のバランスで相対している。外から観察するのではない、かと言って同情に溺れるのでもない、ジャーナリストの「目」に感動した。

彼女は三年と言う年月を取材に費やした。ある日の午後に二、三時間立ち寄ってインタビューするというようなやり方では、とても真実に迫ることはできないと悟ったからだ。彼女は自分もキャンピングカーを持ち、アマゾンやビーツ農場で働き、ラバートランプに参加する。そしてなにより素晴らしいことは、自分たちの悲惨な側面に特化して書かれるのではないかと警戒していたノマドの信頼を勝ち取って彼らの実情を描き切ったことだ。

もう一度若くなれたら、彼女のような仕事をしたいとせつに思った。