トマト丸 北へ!

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『あんじゅう』三島屋変調百物語事続を読んで

 

 「藪から千本」に出てくる「本家の姑」が嫌。何がしたいのか、わからない。

信心深い人物で双子を忌む気持ちから、双子の孫娘の片方はけっして本家に入れてはならないと遺言。亡霊となって夢枕に立ってまでその遺志を守らせようとする。

それは本当の幽霊ではなく息子たちや嫁の心の中にいた「母」なのかも知れないが、そういう残り方をして、いったい何を目指していたのかがわからない。もはや息子たちの幸せを願ってさえいないのだ。

「親の因果が子に報う」なんて、あり得ない。親と子は別人格なんだからと思っていたが、こういうことなんだな。親の心の闇の部分は死んでも子の心中に巣食い、生き続けるのか。

美しい玉をそっと手渡すような人生の終わり方なら良いが、ゆだんをすると毒入りの臭いビニール袋を子に押し付けるようになってしまうのかもしれない。

人生の大部分を「良い人」として過ごして来ても、ちょっとした油断、心の隙が闇を形成し、子供に毒を手渡すことになってしまうのかもしれない。本人はもちろん成仏することなく迷いに迷って苦しみ続けるのだろう。

そう思うと、恵まれた「幸せ」な身分が必ずしも幸せを呼ぶわけではない。ぬくぬくと生きて、心の闇の部分も温存してしまったりして。その闇は、本人はもちろんのこと愛する者たちの人生までも台無しにしてしまうのかもしれない。おそろしや、おそろしや。

おちかの心の暈もまだ晴れることはない。愛に包まれていても、美人でやさしくても、闇から逃れられるわけではない。本人が力をつけて、立ち上がることができる日まで、闇は彼女の心に巣食い続ける。

ということは、この物語もまだ続くということで、うれしいのである。