トマト丸 北へ!

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被害者の救済か加害者の更生かーいじめについて世間の動向を考えてみた

被害者の救済か加害者の更生か。むろんどちらも大切なことだ。

しかし、こと「いじめ」に関する限り世間では後者のほうに重きが置かれているように感じる。「断罪」「糾弾」を含めると、発表されるコメントは加害者への関心が90パーセントで、被害者への思いは10パーセントくらいかなと感じてしまう。

これはもちろん私の受けている「感じ」であって、ヤフーニュースなどのネット記事やテレビのワイドショーなどのコメントから感じていることなので、実態がどうなのかはきちんと調べなければわからないことだろう。

しかし自分がそういう感じを受けていることもまた一つの事実だ。今日はそれについて書いてみたい。

酷いいじめを受けた人がどう立ち直ったのか、そもそも立ち直れているのか、その後どんな人生を歩んでいるのか。その気持ち、家族の気持を考えると言葉がない。それでも出来る限り気持ちに寄り添ったり励ましたりがあるべきと思う。

押さえつけられ、苦しみ、あまつさえその苦しみを嘲笑され、無力感と屈辱感に苦しむ。暴行や暴言の記憶は深く心を傷つけて時間がたっても癒されることはない。たとえ土下座して謝られてもその記憶はなかなか消えない。加害者が世の非難を浴びたり断罪されたりしたとしても心が晴れるわけではないだろう。

傷ついた心を抱えたまま、自分を励まし励まし立ち上がって一歩一歩歩いていくしかない。しかし虐められる人はもともと弱いから虐められるのであって、たくましく強いわけではない。マイノリティだからいじめられるのであって、大勢味方がいて守ってくれるなら、そもそもいじめられたりしないだろう。

いじめが明らかになったときよく見るコメントに「いじめはもちろんいけないことですよ」「いじめは許されることではないです」というのがある。ただしそれは一言だけ。すぐそれに続けて「しかしですね」という言葉が発せられる。その後に長々と続くのは、いじめた方の事情も考えなければならないとか、いじめた個人の責任を追及するだけではいけないとか、みんなでよってたかって虐めた人を断罪するのも苛めだとか、その人を永遠に非難するのかとか、その人を非難できる立派な人がいるのかとか。

それらの言葉はみな正しいと思う。しかしですね、虐められたとき苛められた人は孤立無援だったのに、苛めた人には即援軍が現れるという現実がやりきれない。

一般的に苛められた側より虐めた側にシンパシーを感じる傾向があるのではないかというのは、私の邪推だろうか。

倫理と道徳の違い。そのことをするのが嫌だからしないというのが倫理感で、規則で決まっていたり罰則があったり世間から非難されるからしないというときのその規則が道徳だそうだ。道徳で規制する必要があるのは、倫理感を持っていない人がいるからだ。道徳でさえ規制できない部分は法律で禁じるしかない。そういう構造があると思う。

苛めも、人を虐めることや大勢で弱い者にかかっていくという行為に嫌悪を覚えるという人もいれば、それが楽しいという人もいる。それが楽しいと言う人にいくら説明しても本心から苛めが悪いとは思わないだろう。だって、その人たちにとっては苛めがおもしろいんだから。

そういう人たちに苛めを止めさせようとしたら、規則で縛るしかない。その行為を世間が糾弾する、ひどい場合は法律で罰する、などで規制するしかない。それが現実にはあまり行われていない気がする。

私のように虐められやすい人間から見ると、面白がって人を虐める人たちは野生のヒト科ホモサピエンスのような気がする。実際にいるし、その数は少なくない。そして苛めに加わらないとしても、いじめる側に共感する人の数はもっと多い。現に「私もいじめをしました」「自分のこととして反省した」などのコメントを発表している人が何人もいる。その口調は、私には人ごとのように感じられる。いじめはいけないという倫理感があるようには、私には見えない。こんなに世間から非難されるなんて、いじめはやっぱりいけないことなんだと初めてわかったというような。それでも気づかないよりずっといいけれど。

思うに、それが現実なのだ。そしていい方向へ向かっているとしても、すぐには変わらない。私たちは野生のヒト科ホモサピエンスがうようよいる世界に生きている。彼らに遭遇する可能性はツキノワグマに遭遇する可能性よりずっと高い。

ここまで考えて、すごく勇気が湧いてきた。自分のこととしてだが、現実を嘆いても始まらないと思う。もう出来るだけ自分がいじめられないように、できればきちんと発言できるように、ぜったいに虐める側に加担しないように、自分が力をつけるしかない。今まで逃げまくって来たけれど、逃げるスキルも必要だけれど、それだけでもいけないのかも。

そんなことを考えた。