トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

宮部みゆき『ICOー霧の城』上・下は読む3D

 

 

 

トクサ村には何十年かに一度頭に角の生えた子供が生まれる。その子はニエとして「霧の城」へ送られる。それを否めば村に恐ろしい危難が振りかかるのだ。

イコが生れ落ちるとすぐに父母は村を出た。13歳になって角が大きくなってニエとなる時が訪れるまで村長の家で育てられるのだ。

村の平和と安穏のために犠牲を捧げる風習。村長は自分の義務としてイコの両親を説得して村を離れさせ、いよいよイコがニエとなる年齢に達したときにはイコを我が子以上にいつくしんで育てた妻を説得して御印を織らせ、イコにもニエとなる運命を納得させる。逆らうことの出来ない大きな力がニエを要求しているのだと。

イコの周囲の人々が心を痛めていること、平気じゃないことが救いだけれど、ずいぶん酷い習いだ。一人の犠牲で大勢が救われる。それが一過性のことではなく社会の仕組みにまでなっており、しかもやられるのは子どもなのだ。

でも、こういうことあるなと思う。人の世の闇として存在することだ。現実の世界では村長たちのようにイコの運命を悼むことさえせず見て見ぬふりをする人も多いくらいだ。

イコの親友のトトだけが納得しない。ただイコを行かせたくない、一緒に居たいという気持ちで暴走し、村を抜け出し禁忌とされる北の山へ向かうのだ。

最初私はトトに批判的だった。どうしようもないことなのに、と。彼の行動はイコや村の人たちを困らせるだけなのに、と思った。

しかし彼の真心は物語を大きく動かしていく。物語が進むにつれて、トトをそうさせたのと同じ気持ちがイコを前に進ませているのだと思うようになった。城の塔に吊るされた鳥かごに囚われていた美少女ヨルダを救おうと奮闘するイコの思いは、ただただヨルダが哀れで彼女を救いたいという気持ち、それだけなのだ。

単純と言えば単純とも言える純な少年の行動が、この「霧の城」の秘密、世界の秘密を明らかにすることへとつながる。ここに一番感動した。

社会を変えるのはエラソーな分析や改革への理念なんかじゃなくて、理不尽への怒りでもない。ほんとうはただ一つ、まっとうな愛なんじゃないかと、そんなことを思った。

ぐんぐん引き込まれ、目の前に映像が躍動する読み応えのある本だった。