トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

小津安二郎『東京物語』に現代の砂漠に通じる道を観た

 

 5人の子を持つ老夫婦。

長男は東京のはずれで町医者をしている。長女はやはり東京で美容院経営。次男は戦死した。三男は大阪で国鉄勤務。次女は尾道で両親と同居している。次女は小学校教師で、まだ若い。

周吉ととみの老夫婦は思い立って子供たちに会うために上京した。しかし子供たちはそれぞれ生活に追われて両親とゆっくり過ごせない。亡き次男の嫁紀子だけが精一杯のもてなしをしてくれるのだった。

①時代を感じた。

 高度成長以前の貧しい日本。少しでも豊かな生活を送ろうと必死に働くが、衣も食も住も思うに任せない。

 子供の勉強机を片付けなければ両親を泊める場所を作ることもできない長男の家。長女の美容院も店と茶の間が同じ空間にあり、二階には住み込みの店員が寝ている。次男の嫁紀子が住むアパートは一間きりで、炊事場と、そしてたぶんトイレも共同だ。

 長女に頼まれて周吉たちを東京見物に連れ出した紀子はその貧しいアパートで二人を精一杯もてなす。紀子はお酒、酒器をお隣から借りて来る。そんな時代だったんだな。

 すごく懐かしい気がする。ほんのちょっと前の日本は、こんな感じだったのだ。

②家族の崩壊

 幼いころは可愛かった子供たちも大人になり、親に対する気持ちも通り一遍だ。もう以前の家族の姿はどこにもない。愛が無いわけではないが、古き良き家族のつながりは失われてしまった。

 子供らにとって周吉たち両親は、もうちょっとで生活をめちゃめちゃにする侵害者に見えてきそうである。長男の家にも居づらく、長女は仕事の付き合いがだいじで二人を熱海へ追いやる。そこはひどい安宿で騒がしく、一晩で帰ってきてしまった。

「とうとう宿なしになってしもうた」。周吉はとみに言い、ほろにがく笑う。

原節子が美しい!

 ただ一人優しくふるまう紀子(原節子)がほんとうにほんとうに美しい。その優しさ、その挙措、言葉遣い、まなざし。彼女の影響で私も半日くらい上品に話していた。

 しかし紀子の世界もそのままでは居られないらしい。亡き夫を思う清貧な8年の暮らしに、ようやく不安を覚え始めている。その不安は、否応なしに変わっていくこれからの彼女の暮らしを予感してのことだと思う。

 ①~③に表れている人々の暮らしは、より良い暮らしを目指す愛おしく切ない努力の生活だ。つぎ込んでいるものは大きいが、その代償となるべき豊かな暮らしを手に入れるのは、ずっと先のことである。

 今私たちは、彼らが望んだであろう豊かさを手に入れている。その道程で失った温かさや心の安らぎを取り戻せないまま、自分たちは幸せだと思い込もうとしている。日本人の8割は自分たちは幸せだと思っているそうだ。

 私たちは、周吉の子供たちが両親に与えたような淋しさを周りの人たちに与えないで済んでいるだろうか。紀子は幸せになっただろうか。兄弟たちの冷淡さをなじる義妹を諭して、「大人になるとそうなってしまうの」「嫌なことばかりよ」と義妹に語った彼女は、はるか未来の砂漠のような東京を予兆していたのではないだろうか。

 それでも紀子は美しい。懐かしく優しく温かいものを失うまいと孤独に戦っている彼女は美しい。

 寂しい帰宅の道々、子供たちの冷淡さを嘆く周吉にとみは、「それでも私らは、ええほうですよ」と言う。「ええほうですよ」。とみのその言葉も、美しい。