トマト丸 北へ!

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「サイドカーに犬」の竹内結子が素敵すぎて胸を噛む

 

長嶋有 原作

根岸玄太郎 脚本

ヨーコ 竹内結子

薫  小4の夏 松本花奈   現在(30歳) ミムラ

父 古田新太

吉村 椎名桔平

 

長嶋有と言えば私にとってはNHK俳句の講師だった。俳句に対する姿勢が尖っていて、すごくおもしろかった。佳作にも選んでもらえなかったけれど。

その人の原作で、根岸玄太郎脚本の「サイドカーに犬」。良かった。

竹内結子の「ヨーコ」が男前で笑顔が美しい。早逝したことを思うせいなのか、その美しさはこの世のものでないような気さえする。

ジャガイモもニンジンも麦チョコも大量にカゴにぽんぽんと入れていく買い物の仕方がかっこいい。彼女がいることで平凡なスーパーが違う世界になる。

ロードバイクに男乗りでまたがる。子どもに媚びない。やさしくも、しない。

小4になってもまだ自転車に乗れなかった薫に、ヨーコは自転車の乗り方を教えた。

「自転車に乗れるようになると世界が広がるよ」

もっと幼いころに父親が自転車に乗せようとしたのに、母が「まだあぶない」と言って反対し、それ以降乗る機会を逸していた薫。母親はまじめなお母さんで、きちんと薫をしつけていた。薫も「いい子」で母や学校での教えを守っていく子だ。

この映画は父親のちゃらんぽらんな生き方に愛想をつかして突然家を出た母の代わりにヨーコが「ご飯を作りに」来ていたひと夏の出来事を子どもの目線で描いでいる。

ヨーコは常識やしきたりを気にしない。自転車のサドルを盗まれたら、隣に駐輪されていた自転車のサドルを取って載せる。カレーのお皿に麦チョコをざざっと入れて犬のエサのように子どもたちに与える。よその家の庭に勝手に入り込んで電飾をいたずらする。ヨーコが薫やその父と一緒に暮らすことはない。通ってきてご飯を作るだけだ。

薫は、カレーの皿にチョコを入れたらキレるようなまじめで正当な母の世界よりもヨーコの世界に魅力を感じる。母とは心が触れ合わないように感じていたのではないか。

父親は中古車の販売業だ。少しずつ「やばい」世界に足を踏み入れ、車の後ろにナンバープレートが山積みになっていたり、する。それを見つけられて警察に追っかけられたりもする。また彼は人と争うことが苦手だ。どこまでもやさしく、どこまでもずるい。ヨーコはそんな男が好きなのだった。

ある日遠くまで散歩に出て疲れてしまった薫とヨーコを父親はサイドカー付きのバイクで迎えに来る。ヨーコは父親の後ろにまたがり、薫はサイドカーに座る。二人は顔を見合わせて微笑む。サイドカーに乗って、薫は幸せだ。以前サイドカーに乗った犬を見たことがあり、なんて幸せそうなのだろうと思ったことがあるのだ。

サイドカーに乗るのと、載せるのと、どちらがいい?

ヨーコが薫にした問いかけは、自分自身への問いだった。自由奔放でも、ヨーコは思い通りにならない世界を生きている。父親と親しい「吉村」はあぶない男のようだ。吉村は薫の父のことでヨーコをやわらかく脅して10万円払わせる。そのことからヨーコと父はうまくいかなくなる。

犬と子どもはサイドカーに乗せてもらって幸せだけれど、「女」という人間はどうなのだろうか。殊にそのサイドカーがどこへ転がっていくのか先行き不安な男のバイクにくっついている場合は。

ひとつひとつの場面が貧乏くさいのに美しく、印象的だ。キャストたちもみんな芸達者で存在感がある。ひとつひとつの場面、セリフ、動きに意味がある。これが映画なんだと思わせる映画だ。

ヨーコを思うとき、人間の幸せはなんだろうと思う。薫の母の真面目な正しい世界より、ヨーコの世界のほうが私にはすてきに見える。生きてる感じがする。

たとえば朝家を出て散歩をするのにも、「犬の散歩です」と大義名分が要るような人生より、(犬が一緒でもいいが)ぷらぷらとあてどなく歩くほうがいい。大義名分のある散歩は自分の時間じゃない。世間へ向けた世間の時間だ。生きてる感じがしない時間だ。そんなことを考えた。

小4の薫を演じた松本花奈がすごくうまい。抜けかけの歯を舌で探るときの表情とか、うすぼんやりとあてどない感じがしっくりと伝わってくる。サイドカーに乗ってるときのうれしそうな顔がめっちゃ可愛い。トイプードルの可愛さじゃくなて、柴犬のかわいらしさだ。この人は後に17歳で監督をしている。

松本花奈に注目だ。そして長嶋有の原作も読まなくちゃ。