トマト丸 北へ!

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あたしは許さない

「あたし」という一人称を使い始めてから、自分が変わってきたような気がする。

先日、不意に「あたしは許さない」というフレーズが頭に浮かんできた。

あたしは、許さない。

 

「許せない」だとなんとなく「負けた感」があるが、「許さない」はそれよりは景気がいい。気分が晴れる言い方だ。

とにかくある種のことは「許さない」。

それは、自分が自分の味方だとはっきりさせることだ。世界中が敵に回っても、あたしはあたしを後ろ手にかばって守るということだ。

「許すことによって自分がラクになる」という人もいる(実際に言われなくても、この手の言葉が脳内に大量にストックされている。)そういう言葉を鵜呑みにして、自分の気持より相手の都合を優先して行動してしまうことが多かった。

そういう言葉に対しては、「これはあたしの問題だから」と答えよう。あなたの問題じゃない。あなたが許したければ許せばいい。でもあたしの問題はあたしが決めて、あたしが解決する。

「あたしの問題」。

ここで思ったのは、今まで、あたし自身が「あたしの問題」を他人に解決してもらおうとしていたという傾向だ。泣いていれば見かねてなんとかしてくれるのではないかと他人に期待し、他人を巻き込もうとしてきたところがある。

これで思い出すのが「大草原の小さな家」のメリーだ。

教師になって遠くの村に赴任したメリーに、反対者が現れる。メリーが来るまで無資格で子供たちを教えていたおばさんが露骨な嫌がらせをするのだ。メリーの父は「俺が話そうか」と言う。「いいえ、これは私の問題だから」とメリーは父の申し出を断り、自分でおばさんと対決した。

そういうことなんだと思う。自分で立ち上がらない人は、どこかで他人を当てにしている。自分のことはまず自分で解決するという気概が必要なんだ。実際に何ができるかはわからないけれど、とりあえず自分は自分の味方をすると決める。脳内にいる裏切者に対してノオを言う。まずは一歩前進。これだけですっきりすると分かった。自分のことは自分で解決するのだと分かった。そのうち誰かほかの人の味方も出来るようになるだろうか。

以上、一人称を「あたし」に変えたことで生まれたフレーズ「あたしは許さない」についての考察でした。