トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

生き変わり死に変わりしないとわからないことがある

今週のお題「叫びたい!」

真子様と小室さんの結婚会見を観ていて、今まで思っていたことをまた思った。これはいじめだ。大勢の人たちが寄ってたかってこの二人を虐めている。

婚約会見以来の流れを、「壮大な恋愛劇場」と言っていたタレントがいるが、当人たちにとっては辛いに決まっている。それが延々と続けられるのは、「観客」がいるからだと思う。『クオバディス』のローマ円形劇場でキリスト教徒を猛獣の餌食にする場面を連想してしまうくらいだ。あの見世物も、民衆という観客が大きな要素になっていると思う。施政者が民衆の不満をそらすために行っていたのではないか。詰めかける群衆がそれを見たがっていたから。

真子様に対してはそうではないかもしれないが、抵抗できない者を引き出して吊るし上げたいという気分がなかったとは言えないと思う。若い二人に、当人には責任の無いスキャンダルを「説明しろ」と迫ることが穏当なことなのかどうか。

それらを思う時、真子様の怒りを抑えた美しい表情や小室さんの何かを乗り越えた晴れ晴れとした表情を見て、良かったと思わずにはいられなかった。

飛躍するかもしれないが、いじめる者には、いじめがいけないことだと「わからない」のだ。

話は大跳躍するが、ワタクシは、今まで生きて来てやっと腑に落ちたことがいくつかある。人に言われても、本を読んでもわからなかったことが、何十年か生きてきて、ああそうなんだと、わかる。魂がなっとくする。

ひとつ言うと、誰も助けてくれない自分で自分を守ろう、というようなことだ。若くても幼くてもわかっている人もいるが、ワタクシの場合は、二年位前にやっとわかった。

虐めをしている人も、わからないのだと思う。それが悪いと思わなかったり、抵抗できない者がいたぶられいたり多勢に無勢でむちゃくちゃやられているのを見たりそれに参加するとスッキリした気分になったり、する。それを悪いと思えない、わからないのだ。

この人たちも、長い時間をかけて、自分が辛い目に遭ったり苦しんだりしたあげくにいつかはわかるのだと思う。生き変わり死に変わりする必要があるかもしれない。とにかく今すぐにはだめなのだ。責めても、罰しても、自分たちが悪いとは全然思えないのが本音なのだ。

だから、苛められる側は強くなるしかないと思う。訴えても無駄だし、かえって面白がらせるだけかもしれない。一人を取り囲んでつつきまわして、死に物狂いで反撃してくるのを冷ややかに笑って見ている、そんな人たちが以前住んでいた近所にも何人もいた。

立ち向かうより、立ち去り、自分が生きて行ける場所を探すほうが賢い。

そういう意味で、真子様たちは立派だし、毅然としておられる姿を美しいとも感じた。あの姿を見て励まされる人もいると思う。

見当外れだったら申し訳ないけれど、ほんとにエールを送りたいと思う。「がんばって!」と叫びたい。