トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

『八月の光』 フォークナー 岩波文庫

リーナは寝室の窓から抜け出して男と会っていた。彼女の妊娠を知った男ルーカス・バーチは逃げ出す。しかし彼女は迎えに来るという男の言葉を信じていた。その迎えの知らせがないのは何か理由があるのだと解釈したリーナは行方も分からない男の後を追って、わずかなお金を持ち家を出た。

彼女は歩き続けてアラバマからミシシッピまでやって来た。その町にルーカス・バーチはいたが、ブラウンと名乗っており、もちろんリーナのことなど忘れている。思い出したとしても責任を取る気などまったくないのだ。

共同体から見捨てられた元牧師のハイタワーと外見は白人だが黒人の血を引くクリスマス、クリスマスと同じ工場で働くバイロン、そしてルーカス・バーチことブラウンとリーナが主な登場人物だ。

ブラウンはクリスマスの酒の密売を手伝い、森のはずれの小屋にクリスマスと同居している。その小屋は黒人の支援をしているミス・バーデンのもので、クリスマスとミス・バーデンは情を交わしている。愛はない。心に闇を抱えるクリスマスは、愛することができない。

印象に残ったのは、ハイタワーとミス・バーデンとクリスマスがこの土地から離れようとしなかったこと。逃げ出してもいい状況になっても、彼らはこの土地にしがみついている。彼らの生はまるで呪いのようだ。

また、幼いころのクリスマスに愛情を注ごうとした養母も印象に残っている。クリスマスは養父の厳しさは受け入れたが、養母に対してはさげすみしか感じない。

バイロンもリーナを愛し、ブラウンを探すリーナを助けようと奮闘するのだが、リーナはその愛を受け入れない。他の「親切な人たち」と同じ扱いだ。リーナは最後までバイロンを軽く見ている。

クリスマスの養母とバイロンの空しい献身を思うと、自尊感情を伴わない愛は捨て去られるものなのだなと思う。ほんとに文学的な感想ではなくて恐縮だが、何かを期待して他人に尽くしても無駄だという真理があると思う。

しかしそれでもバイロンが好きだ。軽薄で誠意もない、頭の悪いブラウン、顔だけが好いたらしい女たらしのブラウンを、彼がどんな人間であるか知ろうともせずにひたすら追いかけるリーナも変だけれど、ただ若くてエネルギッシュだと言うだけでリーナに惚れるバイロンも変なのだ。正直、訳が分からない。でもそれが人間の哀れで愛しい営みなのかもしれない。

私は自分の血縁の人たちを思う時、どうして幸せになろうとしないのだろうと不思議になることがある。お金が十分にあっても生活を快適にするために使おうとはしない。功利的な取り巻きを近づけて心優しい人たちを遠ざける。不満ばかりを言っているが状況を改善しようとはせず現状にしがみつく。苦を刻む人生だ。まるで楽しさや幸せは自分にはふさわしくないと予め辞退しているかのようだ。

この小説を読んで、血縁の彼らの人生を思った。理屈ではない。ただ、そうなのだ、そうあるのだと思う。だからと言って彼らの人生の意味がないわけではない。誰もが宿命とも言うべき呪にまとわりつかれながらも精一杯生き抜いている。

苦を刻む人生。それをやり切れないと思いつつ傍観している私もまた、苦を刻む人生なのかもしれない。

そういう人間たちを描き切る。文学ってすごいと思った。