トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

期間限定「ひとり暮らし」で時間と向き合う暮らし

つれあいが一週間ほど留守。うれしい。

入院しているのだが、入院がうれしいわけではなく、一週間限定ではあるが、まったく一人になれたことがすごくうれしいのだ。コロナのせいもあり、実に何年かぶり。

朝起きて居間の暖房をかけて温めたり、コーヒーを淹れたり、朝ごはんを用意したり、どれも大した手間ではないが、自分以外の人間のことを気遣う習慣が出来上がっていることに気づいた。おおざっぱな私にもこんなところがあったのだと、ひとりになって気づいた。時間の流れをじかに感じる。時間と自分との間に他者が存在しない感覚を久しぶりに味わっている。

その、時間と自分との関係について、とても良好であることにも気づいた。うんとうんと、これからは時間を大切にしようと思う、その今の心境もうれしい。

正直に言って他人や世間や過去のつまらない出来事を気にしまくって時間を無駄にしてきた。失敗や自ら呼び込んだ不運や、後悔だの悔いだのを詰め込んだリュックを背負って、歩き出す前にもう疲れ切っているという。日常のふとした瞬間に過去の恥ずかしい出来事の数々が浮かんできて、もう、生きてられないという気分になることも多い。

今の心境は、でも、「今まで時間を無駄にしてきたからこれからは頑張ろう」というものではない。逆に、「今まで頑張って生きて来たから、つぶれなかったから、今こういう気持ちになれているのだ」と感じている。

すごく愚かで間違いだらけの人生だったけれど、でもこの心境に今至れたのだから、これまでの時間もけっして無駄ではなかったという気持ちだ。

ここまで生きて来てやっとわかったことがいくつかある。他人は「早く気づけよ」と思うかもしれないが、私はこうなのだ。むしろ、これで何が悪いの? と言いたい。同時に他人の未熟な部分についても寛大になれる。今はわからないのだ。時間と経験を経なければ分からないことがある。もしかしてそれは輪廻転生を繰り返したずっと先の生のことになるのかもしれない。それに今自分の方がわかっている気になっているが、その人より未熟な部分もあるに決まっているし。

今はこういう心境だが、これからもまた何度も「目からウロコ!」となり、何度も覚醒感を感じるだろう。その繰り返しでOK、と思えるようになった。この心境がありがたい。

今、満ち足りた気分で現在のことに集中できる。イライラしないし、達成を焦らない。他人と比べて自分をおとしめない。

どこかへ向かっていくその過程を味わう。到着できるかどうかどうかより、道中を楽しむのだ。

つれあいが帰宅してもこの調子で行きたい。

朝風呂に入り、老いてこわばった手の指をほぐしながらこんなことを考えた。以前ならあれもこれもせねばと焦り、焦るだけで疲れてしまっていた朝がこういう事になっている。これが老いの楽しみというものかもしれない。