俳句の20冊の2冊目。
また夏井先生の本を読む。弟子でもないのに先生呼ばわりはおかしいかもしれないが、「著者」と書くのも違う気がするので。
P28 俳句の宿命は類想類句との闘い
前の本でも書いたけれど、意識してこれをやっていなかったなんて、ほんとに間が抜けていた。でも、意識したからといって出来るわけではないけれど。どの道も難しいものです。
しかし俳句は短詩型なので逆に「オリジナリティのある言葉が5音分ほどあれば」いいとある。そうか! 希望がほの見える。「ほんのちょっとした工夫で自分らしさを表現することは、いかようにもできる」。
その工夫とは、
べたな連想を避ける、説明ではなく描写を意識する、映像が浮かぶ動詞を用いる、あえて字余りにする、など。
例えば滝を表現するのに「水が落ちる」では滝だと分からないが、「轟く」とすると滝だなと思わせることができる。音や勢いや空気感まで伝わってくる。
漫然と言葉を使ってちゃだめなんだな。
そしていちばん大切なのは、「その17音に詩があるか(どうか)」。これが私には難しい。詩心がないのかも。でも、「詩があるかどうか」を意識するだけでも違うと思う。
プレパトの俳句の中から掲載されていたものの中で私のお気に入りは、
柄のとれた箪笥の中に菫草 ピース又吉
春愉し房総の空ひた走る 中田喜子
五月晴れだから空色ワンピース 藤田弓子
満月に相輪の影ひとつあり 猿之助