トマト丸 北へ!

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志賀直哉『万暦赤絵』 岩波文庫

自選による23篇の短編集。

久々の志賀直哉だ。卒論に書こうと思って全集を買ったくらい、一時は好きだった。

ほとんど読んでいるはずなのだが、ほとんど思い出せない。どこに惹かれたのかも今となっては定かではない。半世紀近く経っている。もう初めて読むようなものだ。

「山科の記憶」などに書かれている妻への視線、犬や鴨など小動物への思いが印象的だ。

志賀直哉はイメージと違って、家庭では短気だが愛情深い。妻をはじめとして女全般に甘いと自分で言っている下りがあるが、そうだろうと思える。子どもの甘え方で優しさがわかる。けっして恐ろしい父ではないのだ。

熱があって留守番しなければならないと言われてすねて甘える子どもの描写、家族全員での遠出など、明治の男的な部分があるだけにかえって愛の深さを感じる。

しかしこの短編集のおよそ半数ほどは直哉の浮気を題材にしている。妻を愛しており、彼女が苦しんでいることが分かっていて女の元へ行くのがやめられない。小説家である彼はそれを小説に書きさえするのである。

ひっそりと愛を交わすだけなら、表ざたにして妻を傷つけたり面目を失わせたりするのでなければ、長い人生を共にする中で浮気が悪とは言い切れないかもしれない。まして時代は大正である。「浮気は男の甲斐性」などと言う言葉もあったのだ。

それを思えば直哉の行動は許せるのかも。でも妻に隠そうという気もあまりないらしいのは許せない気がする。あくまでも自分の中での、ごまかしのないまっすぐな生き方を大切にしているのだ。それが妻を傷つけることがよく分かっていない。

痴情のもつれから逃げるために東京の実家へ帰った直哉だったが、「オカエリネガウ」という妻の電報に帰宅を決意する。

ここが良い。妻のいじらしさに、作家と共にきゅんとする瞬間だ。

しかし浮気相手の清子という、仲居さんなのか芸子なのか、そういう人のその魅力がよくわからない。「月のうちに三、四回こっちへ来るくらいが何なのか。あなたの奥さんは嫉妬深過ぎるんじゃないのか」という意味のことを言っているが、その他の面でも粗雑な神経がうかがえる。あと大柄であるらしい。別れを言い出されたときも、別れることが悲しいというよりその世界の中での世間体が悪いと言って嘆くのである。

「玄人」と「素人」を比べてもしょうがないのかも知れないが、どう見ても奥さんの方が純真で可愛らしい。こういう奥さんがいて清子に走るかなと思ってしまう。道徳的な善悪より、直哉がこういう女性に惹かれたというのが不思議だ。私にはわからない世界である。

犬についての文章がまた私にはつらいものだった。昔の犬と今の犬はぜんぜん違う。今は屋外で飼われている犬はごく稀だろう。老犬を抱っこして寝かせつけている私は、飼い主になつかずいじける子犬のエピソードに涙ぐんでしまうのだ。

自選とあるが、短編なら「城崎にて」や「焚火」が印象深い。読み直してみようと思う。