1885年生まれの小説家。『真知子』『秀吉と利休』など。
解説に漱石に作品をみてもらったことが書いてあった。漱石って教師をしていたからか、人を育てることが好きだったのかなと思う。近所の少年に英語を教えてくれと頼まれてちょっと教えてあげるエピソードも読んだことがある。漱石は、弥生子の一作目は丁寧に批評、2作目「縁」を「ホトトギス」に紹介している。この話、他人事ながらあたたかい気持ちになる。
弥生子は60歳で敗戦を迎え、その後も書き続けた人だ。時流に乗るというのではなく、自分の暮らしをたいせつにしてその中で小説を書いた。この短編集の中でも戦争に批判の目を向けている。
「死」
亡き祖母の思い出。「もともと少なかった人間らしい性質がなくなり、僻みと嫉妬と貪婪が残った」という友人の祖母の話を導入として、それとは対照的な語り手の祖母の話が綴られている。血筋からくる一族の暗い運命を一身に引き受けて次代へは残すまいとしたやさしい女性の物語だ。
いい話だと思った。この一族ほどドラマティックなものではなくても、暗い憎しみやネガティブな感情が親から子へと伝わってしまうことがある。それを、「私のところで止めよう」と思えるのはすてきだ。
「或る女の話」
カフカを思わせる(?)不条理な話。ヒロインは次々と運命に翻弄される。
運命を切り開くというのではなく、ものともしないのでもなく、「相手にしない」という感じ。この作品がイチオシ!
「茶料理」
若いころの男女間の思い出。十年以上たってからの再会で、二人はその思い出の意味を解く。
これって、現代なら単なる「友情」ですむことだと思う。家主の女性の過剰な気遣いといい、男女であるがゆえの遠慮といい、昔は不自由だったんだなと思う。「7歳にして席を同じうせず」というような隔てが普通の親しみを疑似恋愛へとねじまげてしまうのだと思う。
でも女は友情のような恋愛のようなはっきりしない感情の揺れが好きだ。恋愛に進んでしまうよりも楽しい。恋と決まると苦しくなるが、この段階は心地よい。人生の辛い局面でそういう関係をいったん心の支えとすることもありだとは思う。
「山姥」
山ごもりの記。今、第二の人生をこういう風に移住して過ごす人は珍しくないが、あの時代に夫と離れてでも好きな山暮らしをしているところがすてき。訪れるのではなく、暮らさなければわからないことがある。
「哀しき少年」
ナイーブな少年が周囲に理解されず追い詰められていく。彼を追い詰めるものの1つとして「軍国主義」が嫌悪の気持をこめて描かれている。
イデオロギーから来る反戦ではなく、たぶん「暮らしの実感」から自然に湧いてくる批判、嫌悪だと思う。そして少年の繊細な心情を追う筆力はさすがだ。
以上が私の好きな作品だ。
この短編集を読んで野上弥生子という作家を見直すことができた。こういう作家が生きていたことを忘れたくないし、またしばらくしたらじっくりと長編なども読みたいと思った。