トマト丸 北へ!

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テレビドラマ『高慢と偏見』と映画2本

PRIDE and PREJUDICE   1995年 イギリス制作

原作 ジェーン・オースティン

脚本 アンドルー・デイヴィス

監督 サイモン・ラングトン

キャスト エリザベス・ベネット ジェニファー・イーリー

     フィッツウィリアム・ダーシー コリン・ファース

 

このドラマを観て原作の理解が深まった。というか、実は本ではよく実態がつかめなかったのだ。原作に忠実なこのドラマを観て、原作を再読し、やっと内容がつかめた。(以前にも『ミレニアム』がちっとも理解できず、映画を観てやっと内容を把握したことがある。読解力に乏しいのだ。)

人物それぞれの性格や暮らしぶり・人間関係など、映像で見ると手に取るようにわかる。けっこうはまってしまった。

ベネット家とダーシーの「格差」も屋敷の映像を見れば実感できるし、エリザベスの魅力、ベネット家の親子関係も理解できた。

ベネット父は三女以下のメアリー、キティ、リディア、そしてベネット母(つまり自分の妻)を深く軽蔑している。軽薄さと頭の悪さに辟易してさじを投げているのだ。美しさと賢さを併せ持つ長女ジェーンと次女エリザベスの2人だけを認めている。5人姉妹の中でいちばん美しいジェーンはお人好しなほど善良でつつましい性格だ。エリザベスは個性的で品位があり、火のような激しさとシニカルな観察力を持ち、父のお気に入りである。

この父の視点がこの物語のひとつの特徴であり、人間を2種類、物の分かった美しい人種と訳の分からないわがままな人種に分けている。後者への視線は冷たい。ベネット父は妻と三女以下の娘たちを別種のめずらしい生き物のようにおもしろがるだけで、まったく教育しようとはしないのだ。それはエリザベスも同じであり、つまりは作者の人間観を表しているのだと思う。思い起こすのは『源氏物語』の紫式部だ。彼女も品下れる醜い人間に対してはとても冷酷な描き方をしている。

それはつまりは客観的ということなのかもしれないが。

でもその点を差し引いてもこの物語は魅力的だ。

魅力の大部分を占めるのはコリン・ファースのダーシーである。ダーシーを一目見て、『ブリジット・ジョーンズ』のマイク・ダーシーだ! と思った。もちろんコリン・ファースが演じているからなのだが、どちらも品位ある男の魅力があふれているのだ。それも当然で、「ダーシー」という名前が使われていることから、『ブリジット』を撮った人たちがマークに『高慢と偏見』のダーシーのイメージを重ね合わせていたことが分かる。

金と権力と地位と美貌を兼ね備えた男がそれほどすごい美人でもなく富にも恵まれず個性と人間的魅力のみで勝負するヒロインに惹かれて人間として成長するという物語。以前にも書いたことだが、少女漫画によく出てくる基本のラブストーリーだ。『花より男子』なども同じ仲間だ。もちろん『シンデレラ』も。

でも、どんなによくあるプロットでも、女の子はこういうのが好きなのだ。何度観ても、何度読んでも飽きないのだ。なぜかと言うと、すべての女の子は、多少ぶさいくであろうと貧乏であろうと、自分は「白馬に乗った王子」にふさわしいと、内心では信じているからだ。(もちろん私もごく最近までそう信じていた。)これは女としてうまれた権利のようなものだと思う。

ドラマの女性たちが着ている胸のすぐ下に切り替えのあるドレスがめっちゃ可愛い。

映画はローレンス・オリヴィエがダーシーを演じた1940年の作品と邦題が『プライドと偏見』となっている2005年の作品を観た。

1940年の『高慢と偏見』は、内容に少し手を加えられていて、最後のキャサリン夫人の訪問の意図が変わっている。これはこれで面白くウィットが感じられるが、最初に原作に忠実なテレビドラマを観ておいて良かったかもしれない。

2005年の映画は、キーラ・ナイトレイのアグレッシブなエリザベスが際立って印象的だ。そして最後のダーシーとエリザベスのラブシーンがすてきだった。ダーシーがエリザベスにうなずいて見せるところがきゅんと来る。

ただ、これらを観て、そして原作を読んで感じるのは「身分制度」というものの酷さだ。現代の日本に生きている者としてはちょっと耐え難い。同じ時代かはわからないが、昔観た映画『木靴の木』を思い出してしまう。貧しい小作人が靴の無い息子のために荘園の木を伐って木靴を作ってやる。それはすぐに主人の知るところとなり、一家は荘園を追い出されるのだ。思いやりのあるダーシーならそんなことはしなかっただろうが、主人の人格に容易に生活が左右されてしまうのは痛ましい。ダーシーの生活、ダーシーに比べれば貧しいがそれでも豊かなベネット家の生活は、こういう小作人たちの犠牲の上に成り立っているのだ。たとえダーシーのように「慈悲深い」主人だったとしても。

高慢と偏見』でエリザベスの従兄弟のコリンズと結婚するシャーロット。彼女はベネット家の隣に住むエリザベスの友達だが、財産を分けてもらう見込みもなく、また美人でもない27歳だ。エリザベスがコリンズの求婚を断ったと知り、シャーロットはコリンズに水を向けて婚約してしまう。コリンズがおバカなことは知っていたが、主婦の座と生活の安定を得るために賭けに出たのだ。

きりょうに自信がなければ「愛」を結婚の第一条件にあげることは許されないということだと思う。そして結婚は財産の無い女が生きるための就職のようなものだったのだ。

岩波文庫高慢と偏見』198ページ:「高い教育をうけた財産のない若い婦人にとっては、結婚が唯一の恥ずかしくない食べていく道であった。幸福を与えてくれるかどうかはいかに不確かでも、欠乏からいちばん愉快にまもってくれるものは結婚であった。」

現代の日本に生まれて良かった!