トマト丸 北へ!

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テレビドラマ「ミステリと言う勿れ」21日第7話

菅田将暉の久能整が良くて良くて、毎回楽しみに観ている。今夜の第7話は格別で、ぞくぞくするほど。一つ一つの場面が心に沁みた。

早乙女太一演じる井原香音人の美しさ、そこに居るのに現実感のない儚い感じ。ほんとうにうまい。コロナが終わったら、ぜったいこの人の舞台を観に行こうと思っている。

放火殺人事件の謎を追ううちに1人の少年の壮絶な孤独感へと行きつく整。けっして人を裁かず、ただただ淡々と会話を重ねて相手を理解することにより事件を解決して行く整の魅力全開だ。

菅田将暉って、ただかっこいいだけでなくほんとに奥が深い。突き放すようでいてやさしさが沁みてくる声音、セリフ回し、クールなまなざし! 久能整のミステリアスな雰囲気、たぶん苦しい経験を乗り越えて得たと思われる共感力、洞察力、孤独、情のようなもの、すべてが表現されている。auのCMの鬼ちゃんの明るさ、NHK大河の義経の凛々しさ、どれもこれも魅力的だ。

第7話終わりごろの「陸さん、陸さん、猫もいません」というセリフが、淡々としているだけにくっと胸に食い入る。

今回整の子ども時代のエピソードが語られ、天然パーマの幼い整の可愛さにもきゅんきゅんした。アリはなぜ「蟻」と書くのか、石はなぜそこにあるのか、幼い孤独な整に「考えてみよう。考えたことを誰かに話してみよう。」と教えた女性が居た。

自分が救われたその言葉を、整は孤独な少年に与える。少年は初めて自分を一人前の人間として扱ってくれたその言葉に涙ぐむのだ。

「いろいろなことを考えてみよう。そして考えたことを誰かに話してみよう。」

私たちはそのために生きているのだと思う。

池田晶子が書いていたように、「私たちは食べるために生きるのか。生きるために食べるのか」「生きるとはどういうことなのか」、考えて、表現することが、少なくとも私にとってはそれが「生きる」ことだ。べつに哲学者や作家でなくても。ただの普通の人間でも。