基本的に、自分は楽しくやってるからみんなも楽しくやろうよ、というスタンスの本だと思う。
気楽に楽しむ、働かないアリになる、これに尽きる。
しかし全員にそうなったらと言ってるわけではなく、働くアリは働くのがいいし、働かないアリは働かなくていい。それぞれ自分に向いているやりかたをすればいい。自分がストレスを感じる嫌なことは避ければいい。そういうことだ。
この本から受け取った3つのこと。
① P72 大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度とない
壺に岩と砂利と砂を入れる順番。砂や砂利から入れ、最後に岩を入れようとしても入らない。
目からウロコ。TODOリストもいいが、ランダムに思いついた雑用を片っ端からやってると最後には時間が足りなくなる。景気をつけるために簡単なことから手を付けようとしてきたが、簡単なことでも意外に時間がかかり、その後何やかやと雑用が派生してくる。一日の終わりに何をしていたんだろうと思う。でもとにかく忙しかった。あるいは何もする気がしないままの日もある。茫然とした一日。それがそのまま一生になるのだ。
すごく強い気持で「これだけはやる」と決めないと、何一つ続けられはしない。優先順位とかいちいち考えていてもダメ。何もかも放り出して「それ」をやる。
ひろゆきさんの第一の岩は、「睡眠」だそうだ。仕事なんかより「今寝たい」を優先するそうだ。
これを私も見習うことにした。私も、第一位は「睡眠」。とにかく寝たいときに寝たいだけ寝る。二番目はエクササイズ。「タキミカ体操」を。体が動かなくなったら、いろいろできないことが出てくる。その逆はない。三番目は書くこと。この三つは努力しなくても楽に出来ることでもある。楽しく過ごし、一日の終わりに自分を責めなくて済む。
② P138 「場所を提供できる立場」にいたい
これは私の夢だ。人々が動き始めることのできる「場所」を作りたい。ひろゆきさんの「ペンギン村」(行ったこともないし行き方も分からないけれど)のような開かれた場所を主宰したい。他を押さえつけたり、人格を傷つけたりして「組織」を保っていく人たちが作る場所は嫌だ。地域のコミュニティの良さがよくテレビで取り上げられるけれど、その中で窒息している人が居る場合もある。人が集まれば必ず問題が起きるけれど、辛さが少ない場所が欲しい。
人が立ち寄って休む「庭」みたいなものでもいい。小さい本屋さんとか、カフェとか、そんなのでも。
③ P257 肉屋を応援する豚=いつか自分が殺されてしまう状況の豚が、肉屋の営業を心配してしまい、最後には屠畜される
「聞き分けのいい豚」。それは私だ。「まあ、みんな大変だよね」と思いやり、謝りもしない人の言い訳を自分で考えてあげて許してしまう。もうほんと、泣けてくる。
これは自分への裏切りだし冒涜だ。やめようと固く決意。
しかし、ここに書かれていると言うことは、そういうのは私だけじゃないんだ。そうだったのか!
この3つが大きい学びだった。特に③の「肉屋を応援する豚」というフレーズは、心に刺さる表現だ。
他には、「人間なんて一皮むいたらろくなもんじゃない」「基本的にサービス業は信用できない」を読んで、ひろゆきさんがあまり外食しない理由がわかったような気がした。「ご飯の皿は洗わない」というバイトさんの言葉を思うと、気持ち悪くなるのではないだろうか。
「エッグスタンド」のたとえもおもしろかった。
「エッグスタンド」が普通にある家とそうでない家がある。普通にある家はそれでいい。でも、無い家がある家をうらやんだり、「エッグスタンドが無い」と自信を失う必要があるのかどうかということだ。
「エッグスタンド」、別にいらないと思って持ってない人に「エッグスタンドくらいなくちゃだめだ」と勝手に自分の価値を押し付けてマウントする人間もいる。でもほんとに自分に要らないものなら、それが無いからと言って恐れ入る必要なんかない。
自分にとって何が大切か、自分が嫌なことは何か、それを知って他人に惑わされないことが大切だ。
「それって自分にとってはどうでも良いエッグスタンドじゃないのか」と考えてみることも楽に生きるひとつの方法だと思う。エネルギーは、これと言うものに注ぐ。
私はまじめな働きアリだと自分で思っていたが、「ダラダラすることに罪悪感がない」「自分の興味のあることに没頭できる」という2大特徴を兼ね備えているところを見ると「働かないアリ」だったのかもしれない。「余生」のような生き方だと書かれていたが、今まさに「余生」である。
この生き方を受容して、なるべく嫌なことをせず、楽しく生きたい。