トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

濱口竜介監督・脚本『ドライブ マイ カー』

DRIVE MY CAR

監督・脚本 濱口竜介

脚本 大江崇充

家福悠介 西島秀俊

渡利みさき 三浦透子

高槻耕史 岡田将生

家福音 霧島れいか

村上春樹の短編小説は難解だ。長編がわかりやすいというわけではないが、私には短編のほうがより謎に満ちているような気がする。短いから手がかりが少ない。『女のいない男たち』の6つの短編は、それぞれが独立していながらゆるいつながりを持つというか互いに他の5編の手がかりになっている。とはいえこれはこうと明解できるわけではないし、むしろ曖昧な読後感をたいせつにしたい感じだ。

映画『ドライブ マイ カー』には、濱口監督が読み解いたこの小説の世界がしぶい感じで提示されている。まぎれもなくひとつの解釈でありながら新しい謎の提示にもなっている。そういう快い作品だ。

チェホフの『ワーニャ伯父さん』を読んでいて良かった。この映画のテーマのひとつが最後のソーニャのセリフに表れている。戯曲を読んでいたのでそのあたりが理解しやすかった。ワーニャの肩を後ろから抱いて、ソーニャは「ひとのために生きていきましょう」と言う。

「そして時が来たら、神様にこう言いましょう。私たちは苦しみました。泣きました。つらかった。」でも「生き抜いた」ということだろうと思う。

妻を失い、喪失感の中広島の演劇祭で『ワーニャ伯父さん』の演出をすることになった家福は妻の浮気相手だった高槻がオーディションを受けに来たことに驚く。高槻とのやりとりや家福の車の運転手として雇われた渡利みさきとの交流の中、彼は自分自身と向き合うことになる。事件を起こした高築が去った後、混乱して考えをまとめることもできない家福はみさきの故郷、北海道の十二湖町まで車を走らせる。その車は妻との思い出の詰まった赤いサーブ。みさきは交代するという家福の申し出を断って、ひとりで運転する。

町のようすは変わり、地震で倒壊したみさきの実家は雪に埋もれていた。心に傷を持つみさきを抱きしめて、家福は言う。「生きて行かなければならない。生きて行ける」

妻の死までの家福との生活をたんねんに描く長いオープニングがあるので、この場面の家福がすごく心に沁みる。繰り返しになるが、『ワーニャ伯父さん』のテーマと重なるところでもある。

他には演出をする家福の「うまくやろうとしなくていい」という言葉が心に残った。頭の中で勝手に言葉を足して、「うまくやろうとしなくていい。ただ、生きて行けばいいんだ」と聞いていた。

高槻が家福に言ったこと、「すばらしいパートナーだった音さんと浮気をしていた音さんと、両方の音さんをそのまま愛するわけにはいかないのですか。」。この言葉も印象に残った。

どちらの音も真実の音だ。そうであるしかできなかったのだ。

この映画を観て、戯曲『ワーニャ伯父さん』の最後のソーニャのセリフを宗教的なものだと思った私の解釈は違っていたと思った。神に頼り、任せるということではなかったのだ。自分たちの人生を引き受けて、受容して、生き抜くという意味なのだと思う。やり切れない人生、今となっては何もかも遅すぎるこの人生を。

私たちは人生の負の側面も受け入れて生きていかなければならない。誰にでもある失敗、慚愧、後悔も含めて。

私は自分の人生の数々の失敗を思って後悔することが多いけれど、それが私なのだと思う。もしそこでうまくやれたとしたら、それは私ではない。どの時も私は一生懸命だったし、そうであるしかできなかったのだ。それも含めて自分を愛するべきだし、自分を愛するひとにもそうあってほしいと思う。

みさきがとても素敵。美人とは言えないがけっして醜くはない、運転がすばらしくうまい、という小説のイメージにぴったりだ。運転がうまいということにはそれ以上の意味がある。それは現実との向き合い方の問題だと思う。不幸と言える生い立ちをそのまま自分のものとして、ただ生きているみさき。淡々としたたたずまいに惹かれる。煙草の吸い方、背中をまるめた後姿。この人のことは忘れない。最後のシーンの幸せそうな顔。そばに居る犬と共にめっちゃ好きだ。

原作で黄色いサーブだったのが、この映画では赤い車になっている。この映画を観て読み返したのだが、以前読んだとき家福の妻は自殺したのだと記憶違いをしていた。どうしてそう思ってしまったのだろう。家福は記憶となった妻とどう折り合いをつけるのだろうか。さまざま謎は残る。