トマト丸 北へ!

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感想・オーディオブックで聴く『野菊の墓』(伊藤左千夫著)~泣ける!

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オーディオブックで聴いた『野菊の墓』。

結末の部分で泣いてしまった。「民さん」が哀れで哀れで。

以前読んだことがあると思うのだが、記憶とたいぶ違っていた。「民さん」のイメージをか弱く可憐なだけだと思っていたのだが、気が弱いにしても品位のある快活な娘だと分かった。愛されて育ち、自分の意思も持っている。

民さんのイメージが変わったのは良かった。

おぼろげな記憶に終わらせず、読み直してみるのはいいことだ。オーディオブックで聴くのも良かった。散歩の時間、歩みの遅い老犬にイライラせずにすむし、時間を有効に使える、聴く楽しさもある。自分で読むとどうかすれば読み飛ばしてしまう部分もしっかりと耳に入る。

オーディオブックで聴くことの欠点は、語り手の読み方によって「読み」がかなり限定されてしまうことだ。聞きやすくするためにわざとだと思うが、細かく切って読む。その切るところが私の読み方と違うのである。じかに本を読めば100%自由に読めるのだが、聴いているとここは違うなと思ってしまうところがどうしても出てくるのだ。どうしても朗読者の解釈したものを聞かされているという違和感が残る。翻訳されたものを読む場合にもこういうことはあるのかもしれない。

しかし総合的に考えてオーディオブックを導入したのは正解だった。本来なら読めない量の読書が楽しめる。

野菊の墓』もとても良かった。

民さんのイメージがより正確な生き生きとしたものとなった。茄子をもぐシーンや、山の棉畑のシーンなど、二人の思い出も目に浮かぶようだった。

しかし時代の制約と言うのか、登場人物がみな良い人たちであるものの、というかそれなのに民さんが不幸になったのがどうにも残念だ。悪い奴がいたのなら仕方ないのだが、みな基本的に善人で民を愛していたのに、どうして好きでもない人のところへ嫁にやるのか。どうしてもう少し待ってあげなかったのか。政夫との結婚を認めなかったのか。殊に政夫の母親は当時としては破格なくらいやさしい良い人なのに、政夫も民も二人ながらに非常に愛していたのに、どうして二人の仲を裂いたのかと思う。後で自分を責めさいなむ彼女もまた非常に気の毒だ。

腹立つのは結びの部分。政夫が「余儀なく結婚させられた」民を忘れずにしのぶのはいいのだが、自分もまた「余儀なく結婚して永らえている」と述懐しているのが許せない。今結婚している妻の立場がないでしょう。誠実とは言えないでしょう。そんなふうだから民に「僕は民さんの思うとおりにします」とか言う手紙を与えながら中学に進学して以降民が死ぬまで一度も会いに行かないという不義理をしてしまうのだ。「恥ずかしい」とか「きまりが悪い」とか、言い訳にならない。

「僕たちの間には何もなかった」と純愛を標榜しているけれど、あの手紙はどうだろう。民の恋心はあの手紙で決定的になったに相違ない。あの手紙がなければ民だってきっぱりと新生活に入れたのだ。純粋な乙女にとっては実際に関係を持つ以上のインパクトを持つ手紙だ。「僕は民さんを思うだけで幸せだった」と自己完結しているが、相手のことをちっとも思いやらないなんて、信じられない。民が針の筵に座ってどういう明け暮れを送っているのか、考えないのだろうか。

最後の「余儀なく結婚」の一行だけはぜひ割愛してほしい。