トマト丸 北へ!

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孤立や自己肯定感の問題というのは他者との関りの中で生まれてくるもの

NPO「あなたのいばしょ」の大空さんのコメントがヤフーニュースに載っていた。

「孤立や自己肯定感の問題というのは、他者との関り合いの中で生まれてくるもの。つまり一人では孤立しないし、ひとりでは自己肯定感が下がるということもない」

さらに、他者に手を差し伸べることのむつかしさについても述べられており、実際に活動している人の苦悩と勇気、そこから生まれる確かな視点を感じた。

私はこれを読んで、自分自身が生き延びる方法として少し違うことを考えた。

他者に手を差し伸べるということは、溺れている人を助けるのと同じようにとても危険なことなのだと思う。体力も技術も勇気も備わっていなければ「助ける」ことはできない。一緒に溺れてしまう。

だから助けてもらうことを期待しない方がいい。誰も助けてくれないと思ったほうがいい。助ける側に廻れるようになりたいとは思うが、私の場合、まず自分が溺れないようにしようと思った。

壁を作って自分の中に閉じこもっていれば安全だが、それでは進歩がないし、心も疲弊する。だから人は家族やさまざまなグループに入るのだと思う。自分が傷つかずにすむ安心できる場所を求めて。そういう場所があれば、もっと外の世界へもがんばって入って行けるだろう。外で傷ついてもグループに戻れば回復できる。自分のアイデンティティを確認できる。

しかしそういうグループを持てない場合もある。ときには家族がいちばんの敵だったりもする。親しいグループや家族といえども他者であることに変わりはなく、ときに牙を剥いてくるものだ。

いちいち苦しむものだが、そこで懲り懲りして自分の中に閉じこもってしまわないために二つの方法を考えた。

①いつも自分のサンクチュアリを守る。変わらない安心できるスペースを自分の中に

 作り、いつでもそこへ立ち返る。そうするためにたいせつなのは、自分を好きであること、夢に向かって

 進んでいることの二つだ。

 『十二国記』の放浪時代の陽子のように、「世界中が私の敵で私に死んでしまえと

 言うなら、せめて私だけは自分を愛し、生かしてやろう」ということだ。夢とは

 こうなりたいという望みでありそれをすることそのものが喜びであるものだ。別に

 オリンピックで優勝したいとか大きな夢でなく、年取ったらもう無理と諦めなくては

 ならないようなものでもなく、ただほんとに自分がしたいことだ。それを一歩ずつで

 も進めていれば心は満足だ。

②いつでも他人にサンクチュアリを開放する。そこに来る人が安心してくつろげる

 スペースを開けておく。

 他人のいいなりになったり、自分を踏みにじられることなく、あたたかい存在で

 いられるはず。

 それにしても、おとなになって良かった。学校と言う枠の中に閉じ込められて苦しむ必要もないし、苦しい人間関係から逃げる術も持っている。他人からどう見えたとしても、自分を全否定したりしなくてすむ。自分の好きなことが分かっていて、自由にそれができる。酒も飲めるし(!)。あたしは逃げ延びたし、生き延びた。この年になれて、良かった。