トマト丸 北へ!

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家事がラクになる20冊⑴土井善晴『一汁一菜でよいという提案』新潮文庫で料理が好きになる

「提案」というのがいい。

 この題名からして心にしみてくるというものだ。

「○○歳までにしておくべき」とか「間違いだらけ」「遅すぎる何々」などプレッシャーをかけてくる題名、副題が多い中、こうしてみたらどうでしょうか、という口ぶりだけで心和む。

●家庭料理は外食で食べる料理とは違う。

 料理にもハレとケがあり毎日の家庭料理は「ケ」なのだ。外食のような豪華さや見栄えは必要ない。食材を選んで毎日心を込めて作り続けることがだいじなのだ。

 この考え方にはすごく納得できた。

●一汁一菜。「ご飯と実だくさんの味噌汁、それでいい。」

 家事にも定年があっていいはず、卒業するとか宣言してみたけれど、生きている以上料理との縁は切れないのだ。外食やテイクアウトは毎日食べ続けるとなるとつらいものだ。

 魚料理中心なのだが、肉もちょっと、野菜も食べなくては。基本は一汁三菜で、出来れば5品くらいは並べたいと作っても、食べきれず残すことになる。連れ合いは同じものが続けて出されると手を付けない性格なので、残り物が多くなる。気分の良いものではない。買い物の時間も入れると一日の大半を食事のために費やすことになってしまう。

 で、一汁一菜。「ご飯と実だくさんの味噌汁、それでいい。」

 これはすばらしい提案だった。

  まず何といっても無理して食べ過ぎなくなった。

 朝ごはんひとつとっても、ご飯味噌汁卵料理か焼き魚、サラダ、果物、ヨーグルト。それに私の場合納豆が付く。納豆には発酵食品のキムチなどを載せる。朝ごはんに必要な栄養素をすべて入れるとこうなるのだ。満腹して朝食後二度寝してしまうことさえあった。

 作り過ぎ、食べ過ぎでへとへとになっていた。必要ない苦労だった。

●ほんとに気がラクになった。

 一汁一菜というスタイルが決まっていると、献立も簡単で苦にならない。逆になんなら1,2品追加で作ろうか、たまには時間をかけようかという気分にすらなる。楽しく作った食事は体にもいいのではないか。

●食の細いつれあいに腹立たなくなった。

 「こんなにがんばって作ったのに、野菜を食べないのね」「どの皿にもせめて一箸はつけてよ」「おいしくなかった?」「納豆、食べればいいのに」と食事の時つれあいを監視してた。嫌いなものの皿に苦しそうに箸をつけるつれあい。今思えば涙なしには見られない光景だったと思う。

 一汁一菜なら、こっちも楽、押し付けられないつれあいもラク、だいぶなごやかになった。これがいちばん良かったことかもしれない。

●巻末の文庫の紹介のページ、食べ物関係の文庫が満載されていて楽しい。あれもこれも読みたくなった。