トマト丸 北へ!

本と映画、日々の雑感、そしてすべての気の弱い人たちへのエールを

愛犬の死を看取れなかった後悔が胸を噛む。でも良かったときのことを考えたい。

私は看取れなかった。彼が去って後、そのことが胸を噛む。連れ合いも「救急病院に連れて行ったり入院させたりせず、家で看取ってやりたかった」と言う。

「抱っこして膝の上で死にました」という話を聞いていて、私もそうしたいとずっと思っていた。でも、いざという時、そうできなかった。まだなんとかなるのではないかという希望にすがってしまった。

もう時間の問題です、とか「家で静かに一緒にいてあげてください」とか獣医師からそういう言葉が聞けていたら。死ぬのがわかっていたら。連れて帰っていたのにと何度も何度も思う。

「親が死んだ時より辛い」と連れ合いは言い、「俺も一緒に死にたかった」とまで言った。私も同じ気持ちだ。死んだ者との関係の質が違うのではなく、こちらの年齢が違うのだと思う。老いた身の別れは辛い。

そして後悔にも果てしがない。

私は担当の獣医師に飽き足りないものを感じ、引っ越す以前に診てもらっていた医師に電話で相談した。連れて行って診てもらうよう頼み込んだ。それでもだめだったら諦めよう。介護になっても一分一秒でも長く一緒の生活を続けたい。明日、退院させて連れて行こう。

そこに一縷の希望をつなぎ、明日まで一晩なんとかがんばってと祈りながら病院の犬を思っていた。家を片付け、連れて帰ってからの看護の態勢を整えた。彼のためにチキンのコンソメスープを作った。何かしなければ時間が持てなかった。

そうやって私が自分をごまかしている間に犬は死んでしまった。

今思えば死ぬことは自明のことだったのかもしれない。痙攣が半年に一回から始まってだんだんと頻度が増し、回復も遅くなってきた。脳に異常があるが、高齢で他の病気も持っているのでもう検査もできないというのが現実だったのだ。それを受け入れていたはずだったのだが、最後に希望にすがってしまった。

最後の瞬間に看取れなかった。犬の哀れが心に深く突き刺さる。自分をだめな飼い主だと感じる。獣医師も弱い愚かな飼い主を冷たい目で見ているようだった。

いや、犬自身は意識がなかったから、彼にとってはそう違いはなかったかもしれない。抱っこしていても分からなかったかもしれない。でも私自身、私たちの心は大きく違う。最後に独りで頑張らせてしまった。抱っこしていてあげれば絶対に分かっていたはずだと思う。この思いは一生私をさいなむだろう。愚かで、弱虫だった。

獣医師とのコミュニケーションが足りなかった。医師も言葉が足らないほうで、私自身もうまく質問ができず、どうしたいかを上手に伝えることができないでいた。失敗した。あんなに可愛い子だったのに、私を頼り信頼してくれていたのに、最後に独りにしてしまった。

泣きながら街をさまよう間、なぜか「獣医師の冷たい目」が何度も思い出され、悲しみと苦しさの中にも無力感がさらに私を打ちのめすのだった。

ふと思ったのは、こんな風に考えても意味がないということだった。

もし本当に獣医師が私を批判していたとしても犬と私の共にした時間の意味も価値も彼に決めてもらうことではない。私自身がどう思うかだ。

そう考えると、死の前の何時間かや死の瞬間より今まで一緒に過ごした15年と11か月の愛に満ちた楽しい時間のほうが大切なのではないかと思えるようになった。私はそちらを思ってこれから生きて行こうと思う。少なくとも、最後に失敗したからといって今までの時間のすべての意味がなくなることはないはずだ。

そう思うと獣医師の「冷たい目」も少し意味が違ってくる気もするのだった。医師だって死に慣れることはないだろう。

すばしこく、動体視力が良く、甘ったれの可愛い子だった。ドッグランで走ったり、塀を飛び越えてしまったり、若いころは元気いっぱいだった。いつも一緒に寝ていた。旅行へも何度も連れて行った。最近の数年間は病気と二人三脚だったけれど、がんばって同じ時間を生きてくれたのだ。よたよたとであっても一緒の散歩は楽しかったし、抱っこして眠る時いつも幸せそうに笑っていた。

私はもう、誰がなんと言っても、そのことだけ考えていようと思う。マルも精一杯生きたし、私も、いろいろ失敗はあるけれど出来るだけのことをしたのだ。