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心に残ったこと・考えたこと
①受け入れること
悩み・苦しみをゼロにする方法は「思いを持たない」こと。感じない、気にしない自分を作り上げること。
悩みのほとんどは、対人関係の悩みであり、それは「自分以外のものを自分の思い通
りにしたい」と思うことから始まる。
他人を自分の思い通りにしたいという思いを捨てて、自分がどう生きるかだけを考えある。
※ある人に誕生日のメールを送ったところ、内容が気に入らないという返信があった。
「すみません」なのだが、それで終わらず、もう二度と接触しまいと決意するようなひどいやり取りとなった。
これも、私にとって先方の反応が気に入らなかった、それだけのことだった。私の望むような人間でいる義務は誰にもないのに。「許せない」と思ってしまうのは、なぜなのだろう。
考えてもわからない。確かなのは相手の応対が気に入らないと引っかかることそもそも苦しみの原因なのだ。バラのとげを指に刺したとして、バラに怒ったりはしない。手当して次からは気をつける、それだけのことなのだ。
それがなかなかできないんだよね。
②「念を込める」ということ
渡辺和子さんのエピソード。彼女がまだ若いとき食卓の準備をしていると先輩のシスターから尋ねられた。「何を思いながら仕事をしていますか」。別に何も考えていないと答えた彼女に先輩は「あなたは時間を無駄にしています」と言った。
「なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか」
「この世に雑用という仕事はないのですよ」
このエピソード、大好きだ。クリスチャンに馴染みはないが、さすが伝統のカソリックだと思う。修道院って、こういうところだったか!
ただ作業するのではなく、「念を込める」。
これは日常のすべてに言えることだと思う。
③過去に投げかけたものが現在を作る
私の人生は薄い。人との関わりが少ないし、深い付き合いの人は数人程度。家族との関係もわりと薄い。
物事も起きにくい人生。こまごまと嫌な出来事はあるが、大体が私でなくてもという世界で起こっている。
なんだろう。この世界にこんなに大勢の人間がいるのにぼっち感がある。
いや私だけじゃ無い、みんな孤独は抱えている。ひとりでも私は平気、と言い聞かせてもやっぱり自分に嘘はつけない。
私の周りを通り過ぎていった意地悪な利害で動く人たちと仲良くしたいわけじゃなかった。素直に自分を受け入れてくれる人、のんびりと一杯のお茶を一緒に楽しめる人がいれば、それが幸せなのに、といつも思う。嫌な思い出が多すぎて、今更よさげな人が目の前に現れても心を開くことができない。
どうしてなんだろう、と寂しくつぶやいていた。
その疑問の正解が、「投げかけたものが現在を作っている。投げかけないものは返ってこない」。
正観さんのこの言葉が腑に落ちた。
私は、「投げかけない」人だ。だから起こることがとても少ない。いいことも悪いことも、だ。
今この瞬間から、過去にやってきたこととは違う積み重ねを始める。
受け身の態度をやめ、自ら「人に喜んでもらう」ことを次々にやってみる。自分から、なげかける。
ただし、集団やグループに参加するのは後にする。一人で好きなときに好きな時間だけできること、から始める。
この「ひとりで始める」はとてもだいじだと思う。いろいろな意味合いでそうなのだと思うが、私の場合、集団やグループに参加するのはリスクが高いからだ。力のありそうな人にすり寄る、ならまだいいが、いちばん意地悪そうな人を恐れて気遣ってしまう。いろいろとうまく行かない。ある程度「感じない自分」ができてからだと思う。
③そのとき「五戒を言うか言わないか」
「五戒」とは愚痴、悪口、不平不満、など。
一見不幸に見えることが続いても、五戒を口にしないでいると自分のレベルを上げることができる。空腹の後の食事がおいしいように、不幸を乗り越えた先にある幸せは大きい。
だから、「何をやってもいい。どんなところでもいい。いかに、<五戒>を言わずに笑顔で生きているか」がだいじなのだ。
④1%の世界の住人を友人にする
戦うこと、抜きん出ること、人と争うこと、比べること、99%の人がこの方向で生きていく。学校でも家庭でも、そう生きるべきだと教えられる。
しかし1%ほど、その教えから外れた所で生きていく人がいる。
1%の人は見ている世界が違う。ものすごく幸せでラッキーな人たち。
この人たちを友人にしておくと、その友人関係は一生もの。
逆に言うと、99%の人たちとは深く関わらなくていいってこと。
99%の人たちって、私の考えでは、悪意の人と利害で動いている人たちだと思う。
悪意の人に気づかず、利害で動いているだけの人に誠実に対応してた。
でもって、私自身もけっこう利害で動いていた。自分の都合のいいように人を動かそうともくろんでいたこともある。そこまででなくても、都合良く他人が動いてくれることを期待して自分は何もしないという傾向があった。
この項にはいろいろ考えさせられた。
⑤オセロゲーム
本日ただいまの思いで、今までの人生が幸せだったかどうかが決まる。
もし今幸せなら、今までに経験したすべてのことがここに至るための原因だったとすれば、すべてが必要な意味のある出来事だし、否定する必要のないことなのだ。忘れてしまいたいようなことや夜中に思い出して叫びたくなるようなことも数多あるけれど、たぶん、そのどれか一つが欠けても今はない。
私は逆に考えてた。今までの失敗や苦しい経験を忘れることなく大切にしまい込んで、こんな人生の果ての私は幸せであるはずがないと自分に言い聞かせてきた。楽しかったり、幸せだなと思ったりしていると、必ず自分の中にいる意地悪な奴がしゃしゃり出てきて「でもこんなことあったよね」「あんたこんなことしたよねえ」とかささやく。くしゅんとなった私はその当時の自分にすぐさま戻って新しく血を流す。
それは逆だったんだ。そして過去など関係ないのだ。
現在をどう認識するか、だが、現実に善悪幸不幸はない。世界は中立。中立の世界に色(判断)をつけるのは自分自身。
現実をどう捉えるかが自分自身に任されているなら、「OK」と捉えるほうがトク。
楽しく先へ進むにはその方がいい。
どうしても自分を責めてしまいがちな私だけれど、腹をくくって自分に「よしつ」と言う勇気を持とうと思った。
「自分に甘い」と非難する人もいるだろうが、自分を責めるよりも肯定するほうがむしろ覚悟がいる。自分にダメ出しをしてグズグズ立ち止まっているのは、他人を責めるより良くない。他人を責めれば反応されて、反撃もあるだろうし、悪手ではあるが前に進める。自分責めは個人の内部の出来事だから誰にも批判されない代わりに何も生み出さないのだと思う。
⑥「気にしない」「気にならない」自分になる
問題が起きたとき、解決方法が5つあると書かれている。
イ 戦う
ロ 逃げる
ハ 我慢する、忍耐
ニ 気にしない
ホ 気にならない、no problem
正解はイだと思っていた。それができない自分をずっと非難してきた。実態はハが多く、最近「ロ 逃げる」ができるようになったのをすごい進歩だと思っていた。
ホの「気にならない」は自分には無理。気になる自分を繊細だと思っていた部分もある。そして二の「気にしない」は現実逃避だと。
正解は、気にならない、嫌だと思わない自分を作る、だったのだ。
なぜかというと、その方がトクだから。ラクだから。
⑦毎日が、目の前に起こる事件や現象についてどう捉えるかの訓練
これを思うと毎日が楽しい。生きている限り毎日この訓練ができると思うと、生きていることが楽しくなる。逆に言うと生きている今しかこの訓練?はできないわけだから。
⑧訓練中、修行中の札を下ろす
「自分は行く先々で性格が荒れていて言葉も荒く、すごい人たちばかりに会う」と相談してきた人に、それは「自分が訓練中、修行中だからたくさんの先生たちが集まってくれているのです。」
なるほど。これって私のことだね。
「訓練中、修行中の札を下ろしてしまえばいいんです」
そうか。
今生で下ろせるかどうかはわからないけれど、なにかあったとき、自分が「修行中」のプラカードを掲げているせいだと思うと笑える。
全文書き写して紹介したいくらい良い本だ。繰り返し読みたい。
ランダムに思ったことやその元になった文章を書き抜いたけれど、だいぶん整理できたから、書き出してみて良かった。



















