トマト丸 北へ!

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知念実希人『ムゲンのI』双葉社 I(アイ)は深いと知る物語ー世界が逆転する

あらすじ

精神科医の識名愛衣は三人の難病患者を受け持っていた。

その病気は突発性嗜眠症候群、通称「イレス」と呼ばれる。夜普通に眠っていただけの者が朝になってもそのまま目を覚ますことなく延々と昏睡に陥る奇病だ。症例はきわめてまれで、世界でもわずか400例あまりだと言う。

愛衣の勤める病院は練馬にある神経精神研究所付属病院で、国内でも有数の神経精神科の専門病院である。だからイレスという希少な症例の患者を受け入れているのだ。

イレスの患者は4名。うち三人が愛衣の患者、そして特別病棟に隔離されている謎のひとりの患者が愛衣の先輩医師の杉野華の担当だった。

愛衣は患者を覚醒させようと心を砕いていたが、有効な治療法はみつからない。自然に目覚めた症例もあるが、ほとんどの患者は死ぬまで眠り続けるのである。

休暇を取って実家に戻った愛衣は父の作ったカレーを食べて心和む。そして同居する祖母の口から祖母が「ユタ」であったこと、その超能力が愛衣にも受け継がれていることを知らされる。「ユタ」の能力を使えば患者を目覚めさせることも可能だと祖母は言う。

人間の魂を「マブイ」と呼ぶが、イレスはそのマブイが何かの衝撃で他の人間に飲み込まれてしまったために起こる症状だ。その「マブイ」を見つけて「マブイグミ」を行えば患者は意識を取り戻す。そのためには患者の夢の世界に入り込んで彼らのいなくなった「ククル」を見つけ出さなければならない。

危険な冒険だが、患者たちを治癒させることができれば愛衣自身も自分のトラウマを克服できるかもしれないと愛衣は直感した。

実は27年前に巻き込まれた悲惨な事件のために愛衣はトラウマを持っていた。医師の治療によりそのトラウマは抑え込まれてはいたが、いまだに心の傷に直面できず、根本的な治癒はなされていないのだった。

病院に戻った愛衣は、三人の患者のひとりである片桐飛鳥を見つめているうちになんとなく祖母に教わったマブイグミの呪文を唱えてしまう。祖母のことばを信じてはいなかったが、何かが起こるのではないかという気もしていた。

その呪文で飛鳥が覚醒することはなく、愛衣は飛鳥の見る夢の世界へ入り込んでしまった自分に気づくことになる。そこから、愛衣と愛衣の「ククル」の冒険が始まった。

物語の進行につれて「ククル」とは何か、登場人物たちの正体は何かが次第に明らかになっていく。すべてが明かされたとき、世界は逆転する。

 

『ムゲンのI』の魅力、物語の魅力

この物語はファンタジーでもありミステリーでもある。しかしけっして荒唐無稽な感じはしない。どんどん物語に引き込まれて行く。愛衣と共に冒険の世界を旅し、患者や愛衣の心の世界を旅する。そして最後にどんでん返しがある。

知念実希人の作品のどんでん返しは意外でもありすごい快感でもある。伏線の回収も鮮やかだ。

読者はその面白さにはまってしまうわけだが、それ以外に今回私が思ったことがある。

この作者やよしもとばなな村上春樹司馬遼太郎や、その他、私がはまる作品には共通する条件があるということだ。

私がその小説を好きになる要因は内容の深さや面白さだけでなく、主人公や他の登場人物に感情移入できることなのだ。

どんなにトリックが込み入っていても、描写が優れていても、魅力的な人間が描かれていないと私はだめなのだ。おもしろいと感じられない。ただ「最後はどうなったか」を確認するための読書になってしまう。

実際人間にはこういうところがあるよなと思う、やりきれないけれど人間の本質が描かれている、そう思ってもそれだけでは、物語へ入っていけない。『クォ・ヴァディス』の作者がいみじくも言ったように読者は「救い」が欲しいのだ。

明るい温かいものがほしい。自分はそう思っているんだなとわかった。

そういう意味でも満足できる作品だ。