トマト丸 北へ!

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角川俳句2026年7月号 特集「おしゃれな句」が良かった

 

○今月の「日本の鳥たち」は、カヤクグリ(萱潜)

 「高山のハイマツ帯で繁殖する地味な姿の小鳥」。大きさも雀とほぼ同じというのも可愛くて胸キュンである。会いたい。「チュリリリリチー」という高く澄んだ声が聞きたい。

 日本列島だけに棲む鳥で渡りもしないという。英名「ジャパニーズ・アクセンター」。これ以上愛すべき鳥が居るだろうか。

 左下の写真のキャプション「真横から見ても全身が地味な色彩」。微笑んでしまう。

 

○第9回「はみ出せ! 俳句」(夏井いつき)

 涙ぐむくらい心打たれた。

 ひきこもりだった「あなぐまはる(俳号)」さんが俳句によって外の世界へ踏み出す。

 「生まれてはじめて、『あそこに行きたい』『人に会いたい』『心を開きたい』と思いました」(あなぐまはる)

「心の視線を外へ向ける『季語』」、「他者と繋がる『俳句』」、「共感という処方箋」など、そうそう、だから私も俳句をやってるんだと共感した。ほんとうに私にとっても俳句は「外の世界へ踏み出すための杖」なのだ。

 私は「あそこに行きたい」は辛うじてあるが、「人に会いたい」「心を開きたい」はほとんど無くなりかけているかもしれない。でもまだ俳句を作ろうという気持ちはあって、投句するのも楽しい。

「あなぐまはる」さんほどドラマチックな展開ではないが、俳句は確かに私の世界を広げてくれている。

 

○おしゃれな俳句「俳句はお洒落と心得よ」(榮猿丸)

 この特集が良かった。

 「どちらも季節を先取りする」「はずし(大胆な取り合わせ)」、「物語が立ち上がってくる」「人間関係が浮かび上がってくる」など俳句とお洒落の共通点がおもしろい。

 

○近代俳人の肖像(岩井英雄)

 今回は「近代俳句の出発点 正岡子規」

 子規は慶応三年生まれで、漱石、露伴、紅葉と同年だそうだ。「彼らの歩みは明治という時代の歩みでもあった」

 子規が好きなので、この項、熱心に読む。

 「時鳥の句を四、五十句作った」「明治二十七年の秋の終わり頃から冬の始めにかけて、一冊の手帳と一本の鉛筆を持って、毎日のように根岸郊外を散歩し、目に見える風景を見えたままに言葉でスケッチした」など。子規の歩みのすべてを尊く感じる。

 子規は三十五歳で亡くなったのだ。

 

○「葉書の教室」(新井大介) 追悼 岩淵喜代子

 筆者がこの恩師のことを「(先生は)とにかく『作る人』であった」と記していたのが心に残った。

 ここで「私も」とはおこがましいが、でも私も一生「作る人」でありたいと思うのである。

 

○今月書き抜いた句

 妖精の脚を揃えて春蚊死す        高野ムツオ

 春の房総ねじ式の汽車に乗り         〃

 箱を出るティッシュペーパー緑の夜      〃

 かげろふを踏んでゆくやうではないか    横澤放川

 初夏の七曜ゆくよすがやかに         〃

 朝涼へつぎつぎに発つ雀たち         〃

 おぼろなり舞楽果てたる石舞台       井上弘美

 夏の天螺旋に上る塔の闇           〃

 遊行柳までひとすぢの青田道        高田正子

 先生のこと語らはむほうたる来い       〃

 連山を影走り来る夕立かな          〃

 母の齢までは涼しきかほをして        〃

 バースデー春は靴から帽子から       中嶋秀子

 死を想へ極彩色の浜草履          小澤 實

 パナマ帽へ手を当つ父の遠会釈       菊井稔子

 冬帽子低く来るなり上野駅         石田勝彦