○今月の「日本の鳥たち」は、カヤクグリ(萱潜)
「高山のハイマツ帯で繁殖する地味な姿の小鳥」。大きさも雀とほぼ同じというのも可愛くて胸キュンである。会いたい。「チュリリリリチー」という高く澄んだ声が聞きたい。
日本列島だけに棲む鳥で渡りもしないという。英名「ジャパニーズ・アクセンター」。これ以上愛すべき鳥が居るだろうか。
左下の写真のキャプション「真横から見ても全身が地味な色彩」。微笑んでしまう。
○第9回「はみ出せ! 俳句」(夏井いつき)
涙ぐむくらい心打たれた。
ひきこもりだった「あなぐまはる(俳号)」さんが俳句によって外の世界へ踏み出す。
「生まれてはじめて、『あそこに行きたい』『人に会いたい』『心を開きたい』と思いました」(あなぐまはる)
「心の視線を外へ向ける『季語』」、「他者と繋がる『俳句』」、「共感という処方箋」など、そうそう、だから私も俳句をやってるんだと共感した。ほんとうに私にとっても俳句は「外の世界へ踏み出すための杖」なのだ。
私は「あそこに行きたい」は辛うじてあるが、「人に会いたい」「心を開きたい」はほとんど無くなりかけているかもしれない。でもまだ俳句を作ろうという気持ちはあって、投句するのも楽しい。
「あなぐまはる」さんほどドラマチックな展開ではないが、俳句は確かに私の世界を広げてくれている。
○おしゃれな俳句「俳句はお洒落と心得よ」(榮猿丸)
この特集が良かった。
「どちらも季節を先取りする」「はずし(大胆な取り合わせ)」、「物語が立ち上がってくる」「人間関係が浮かび上がってくる」など俳句とお洒落の共通点がおもしろい。
○近代俳人の肖像(岩井英雄)
今回は「近代俳句の出発点 正岡子規」
子規は慶応三年生まれで、漱石、露伴、紅葉と同年だそうだ。「彼らの歩みは明治という時代の歩みでもあった」
子規が好きなので、この項、熱心に読む。
「時鳥の句を四、五十句作った」「明治二十七年の秋の終わり頃から冬の始めにかけて、一冊の手帳と一本の鉛筆を持って、毎日のように根岸郊外を散歩し、目に見える風景を見えたままに言葉でスケッチした」など。子規の歩みのすべてを尊く感じる。
子規は三十五歳で亡くなったのだ。
○「葉書の教室」(新井大介) 追悼 岩淵喜代子
筆者がこの恩師のことを「(先生は)とにかく『作る人』であった」と記していたのが心に残った。
ここで「私も」とはおこがましいが、でも私も一生「作る人」でありたいと思うのである。
○今月書き抜いた句
妖精の脚を揃えて春蚊死す 高野ムツオ
春の房総ねじ式の汽車に乗り 〃
箱を出るティッシュペーパー緑の夜 〃
かげろふを踏んでゆくやうではないか 横澤放川
初夏の七曜ゆくよすがやかに 〃
朝涼へつぎつぎに発つ雀たち 〃
おぼろなり舞楽果てたる石舞台 井上弘美
夏の天螺旋に上る塔の闇 〃
遊行柳までひとすぢの青田道 高田正子
先生のこと語らはむほうたる来い 〃
連山を影走り来る夕立かな 〃
母の齢までは涼しきかほをして 〃
バースデー春は靴から帽子から 中嶋秀子
死を想へ極彩色の浜草履 小澤 實
パナマ帽へ手を当つ父の遠会釈 菊井稔子
冬帽子低く来るなり上野駅 石田勝彦